見えてきた一つの答え
先月18歳になったばかりです。小学3年生になったと同時に転校して半年程からいじめを受け続けて高校をなんとかその状態で勉強してそこそこの所に入れて、またすぐ自分は知らない相手ですが、相手は知っていてそれがやっと逃げれたのかなと思った時に起きて、そこから一か月程特別自習室という訳ありの人が集まって勉強する場所で窓から外を眺めて過ごしてました。今は退学して別の環境で通信制に通っています。

この過去を今も引きずっていて、今もあまり変わりはないと思います。
でも少しだけ普通の人なら普通に保育園・幼稚園→小学校→中学校→高校とレールを歩めるだけかもしれませんが少なくとも自分はとっくに高校退学した時点で外れて今は通信高校を少しずつ通っていて卒業はいつか分からない状態ですがそれでも一つ「そのいじめや周りの環境のせいか無意識に自分の殻に閉じこもって蓋をしていて忘れていたものの中に「誰かが自分と同じように困ってるなら、手を差し伸べてあげたい、こんな辛さを自分と同じように味わってほしくない。死ぬよりまず先に逃げるっていう行動はやってみればあっけないものだと知ってほしいというものです。」

自分はもう何があるのかはっきり言って分からない状態です。
そんな自分でもこの辛い経験は自分には一生残り続けるものでしょうし、その記憶や辛さを誰かが同じようにどこにも行き場を失って、そして自壊を何度もしていき、最後は自殺って思考に自分と同じように辿り着いてほしくないです。
少なくとも自分はたまに頭の中で死にたいという言葉が過ることはあります。
それでも死ぬつもりはありません。でも自分を責め続けることをやめることは出来ません。そして自分はこの本文を見てて分かる通りですが上手く言葉を綺麗に纏めることは出来ません。

それでも、同じように傷ついてしまった人に一緒に考えて、寄り添うことが出来れば自分と同じ経験に合う人の辛さや偏ってしまって何も見えなくなってしまった物事への多少のアドバイスなら出来るかもしれません。彼らは基本的に自分と同じように教師側から見ると優等生で日々のストレスや嫌がらせを一心に貯め込んで、でも問題児のように行動には表さない、近くで聞かれても大丈夫ですと愛想笑いをして耐えようとしてしまい結果的に教師側が彼らを犠牲にして成り立っているのが自分は学校教育だとある本を読んで再確認しました。

自分もですが彼らは生き方がなんというか下手ですよね。ですが、同時に彼らのおかげで学校の大多数の人達は自分は少なくとも経験してないのでまったく分かりませんが楽しい小~中~高の12年程を青春?として楽しめてるはずです。自分はもう時間が巻き戻すことなんてできないなんてわかり切っています。だからこそ、今学校にいるそういった人達の心を癒せる場所、つまり居場所や環境を作って彼らに対する配慮も必要なんじゃないでしょうか。

一時的に特別教室で個別授業(授業をメインにせずその時間を先生と軽くカウンセリングに似た要領で話しをしてみたり)を受けてそうやって一度落ち着いた場でパンクしかかってる頭をリフレッシュ、そして整理出来る時間をもらえるなら少なくとも現状維持よりは多少なりとも違う結果が生まれると思います。

問題児と呼ばれる彼らの場合も一度落ち着ける環境、何より話し合える時間が必要だと思います。自分なら問題児と言った子達もまた別の教室で同じように個別授業、何より彼らははっきり目に見える行動で心の状態を表しているので尚更カウンセラーや病院で精神的な治療を受けて落ち着けるようになることの方が大事だと自分は思います。きっと居場所がどこにあるのか分からないから怖いんです。

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「例えば勉強だと自分なりの考えだと分かってくれる子が居なくて、教科書のものをなるべく分かりやすく伝えてみたり、ゲームだと自分も最初は下手くそだったので一定の所まで行けたら周りで同じように壁にぶつかってる人に対して何が原因で上手くいかないのかを聞いて、その部分を画像も合わせて使って自分の経験則から基づいた立ち回りや倒し方を教えたり、相手も同じ人なんだからこういう時はこう考えていたり、ここら辺を見てることが多いかもよ。と心理的な要素を混ぜたことを教えてみたら教えて行った人達がすごく上手になってくれて嬉しいなということがありました。」

↑で書いたものは、自分と同じように悩んだり、壁にぶつかってしまった人を何かしら考えて頑張っているのに空回りをしてる人達を見てしまって、何か手助けは出来ないかな?同じように行き詰って欲しくないなって思いで教えたり、伝えていたつもりでした。そして困ってる人が居たら同じように教えていってくれて巡り巡って行ってくれればいいなって。でも同時にこんなことも考えていました。
本当は自分より下が居たから、優越感を無意識に持てていたから楽しかったんじゃないだろうか、嬉しかったんじゃないだろうかとも考えたことがありました。でもこの考え方自体が自分に関しては極度のネガティブ思考だったということと、自己肯定感が低すぎるってことなんだなとも知りました。これはたった一文ですが教えてた子からツイッターでリプライ(返信)があって
「おかげでクソ雑魚ナメクジからそこそこのレベルに慣れて、今の自分に何が足り
ないかということも自分で意識出来るようになったよーって返答がありました。」
これを聞いて本当に嬉しかったです。自分がやってきたことに意味はあったんだと、自分自身に存在価値、存在意義はあったんだとそう思えて泣いてしました。

最後にこれらと布団の上で考え込んで根幹には至れていませんが、それでも自分が見つけた答えの一つです。ポエムっぽいのはごめんなさい。
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過去にあった辛い出来事や、それによって生まれた心の傷、そして自分自身を責め続けてしまうのは一体誰が手を差し伸べてくれるんだろうね。

それでも自分を少しずつ受け入れていければいつかはもう自分自身を否定しなくていい日が来るかもしれない。自分の傷は癒せなくても、自分と同じことになってしまう人に少しでも手を差し伸べれたらいいな。自分みたいに何年もこうやって悩み続けて欲しくない。もっと別のことで時間を使って欲しい。

これが自分の根幹のようなものに蓋をして縛っているような部分、
昨日布団の上で行き着いた一つ目の見失っていた一つの答え

もう一つは自分自身を本当の意味で受け入れること、自分を責め続けるのをやめて、優しく出来ること、そしてもう抑える必要なんてないんだということ。

今思いつくのは後一つ、無くしてしまったけどまたもう一度誰かと実際に喋りたい、遊びたい、一緒に居たいという願望と孤独への寂しさと辛さ。

蓋の中に何があるといわれたら何もすごいものがある訳じゃないし、本来なら失う必要が無いもの。本当の意味での自己肯定感、自分を愛せること、何よりもう殻に籠らなくてもいいということ、もう自分は自由なんだ、自分が思ったことをやってみればいい、失敗もすればいい。

ただ、すべてを受け止めて、今を見れるということ。たったそれだけのこと。

蓋を閉じてる鎖自体はその断片、恐怖、起こるかなんて誰にも分からない。
過去にあった記憶が未来で起こるかどうかにおびえてしまうこと、何より一歩を踏み出せないだけ。たったそれだけ。自分を許せない、抱え込んでしまう、吐き出せない、そして思いっきり泣けないこと。

ただ、また同じことが起こって今度こそ踏みとどまることが出来るか分からないから踏み出せない、たったそれだけのこと。
みんなが簡単に踏み出せる一歩が困難なだけ。たったそれだけ。

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これは今日自分が思った追記です。

チャンスなんて案外一歩踏み出してみれば目の前にあるんだなと感じました。
自分のような一般人もしくはそれ以下かもしれません。そんな自分の話なんて聞いてもらえるのだろうかと送ってみると案外あっさりといいですよと言われました。

色んなことで「それは~」「これは~」や昔から必死にやって勉強してきた人に今更やっても追いつけることは無いだろっていう言葉を言う人が多いと思います。
確かにこれは間違ってはいないと思います。でも、それは知らず知らずの内に自分自身に出来ないというレッテルを張ってしまっているじゃないでしょうか?本来出来るもののはずなのに最初から出来ないと思い込んでしまっているから全力を出せていないんじゃないでしょうか?
これがまさに自分は自己肯定感なのではないかと自分は思いました。

大切なのは自分を信じれる、ありのままを受け入れることが出来ること、目の前のことに絶望してしまったとしてもいい。でも早まっちゃいけない。そんな時は逃げ出してみよう。そうすればきっと、何も見えなくなってしまった中でも何か大切なものを思い出せるはずです。

自分は自殺をしようとしたことはありません。でもいつからか表情が自分でも気づかないぐらいにひどくなっていたらしく窓から下を眺めていただけで担任の先生が大慌てで自分の方に走って来て右腕を強く、強く握りしめられたことがありました。自分はその時びっくりして、ん?って首を傾げてました。でも、先生は息がとても乱れていて、そして自殺じゃなかったことなのか実際はよく分かりませんがとても安堵した表情をしていました。それを見て自分は少なくとも、命をそう簡単に手放していいものではないんだと言うことを知りました。自分が死んでしまえが悲しんでしまう人がいるんだと知りました。だから自分も同じようにそうやって誰かにここまで書いてきたこと、辛い中だからこそ見てこれたものを今辛い状況に立っている人達に伝えてあげたいです。自分のように最終的には壊れて寝たきりの生活にはなって欲しくは無いです。もっと自分を愛せるようになって欲しいです。何より、世界は思ってるより狭くないんだよと知ってほしいです。
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これが自分が逃げ出すまでに10年かかり、そして2年間今は社会的にみればクズとしか言えないような生活もしていたり、行く当てもなく色んな所に行ったり、稀に勉強をしていたり、そして色んな哲学、心理学、自己啓発関係のような本を読んで来て出せた答えの一つです。

PS.これ自分の悩み相談だったはずなのにどうしてこうなった(((´o﹃o`)))
  それとこういう経験を活かせるお仕事ってあるんでしょうか(´・ω・`)?
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最後に見てくれた誰かに届いてくれたらいいなと思い書きました。
お前だって大差ないだろ!!とか思うかもしれません。
実際書いてる自分自身が未だに答えの無い迷路を迷い続けています。
どうすればよかったのか、こうすればよかったのかと。
でも、最近は少しずつ自分自身の性格を思い出して来てその行動の結果がこれなんだと少しずつ受け入れています。
逃げ出してやっと2年なのか、たった2年だったのかも曖昧です。
でも、一度その環境から離れてよかったと思っています。
あのまま居たら自分は死んでいたと思います。
でもゆっくりと過ごして、そして腕を強く握りしめて安堵していてくれた先生、そして発達障害を持っていて、特に勉強方面はとても苦手な友達が一人居ました。
でも、運動面に関しては化物かって言いたくなるぐらいの才能を持っていました。
周りの人は小学生なのになんでそんな言葉知ってるの・・・?って疑問でしたがよくその子に向かってガイジと言っていて特別支援学級でも変わり者として扱われている所をたまに見ました。でもそんな彼でもいじめを受けて周りのみんなは被害を受けたくないと離れていったのに、彼だけは自分と一緒に居てくれました。
運動が苦手なのに全力運動させられて休み時間に次の時間体育なのに疲れ果てて動けなくされることもありました。学校外で4時間程ひたすらに走ったこともあります。読書が好きでしたが本を取られてまてー!って取り返すことも日常茶飯事でした。それでも自分は彼のことを大切に思っていました。
自然体で一緒に居られる人なんて今までいなかったんです。
今は進学先が別になって遊ぶことも話すことも無くなりましたが大切な友達です。そんな人にみんなが巡り合えるといいなと思っています。
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話が長くなりましたがこれが最後です。
偉そうに言ってるように聞こえるかも知れませんがよかったら見てください。

人生は良いことや悪いことが沢山あるかもしれません。ツイッター等を見ていても高校~大学の頃に戻りたいという人達をよく見ます。自分は少なくとも青春なんてものは微塵も分かりません。友人と楽しく喋ったり、遊んだり、勉強をする機会も小学2年生の頃まででした。はっきり言って嫌なことばかりの人生だとは思います。それでも確かに自分のことを思ってくれる人や、話しを聞いてくれる人。
つまりありのままの自分を受け入れてくれる人はきっといます。きっと、今辛いのはもしかしたら自分の過去の行動に原因があった人もいるかもしれません。でもほとんどの人は理不尽な理由から病んでしまっていると思います。でもそれは大抵は環境のせいだと思います。運悪く周りに優しさという感情を知らない、想像力が欠如した人達が多いだけだと思います。でも同時にそれが同年代なら彼らも被害者です。彼らがそうなったのも環境と親の教育の結果ですから。別にだから彼らを悪く言うなとかそういう訳ではありません。どう言い訳しようがその行動自体を起こしたのは彼らなのだからその罰は必要です。話を戻します。今辛い人達はその環境の中で今を生きていると思います。なので今と違う場所に行ってみてください。きっといいことがあります。そして何より自分を大切にしてください。