人の顔色を覗いすぎてしまう、自分の意見を伝えられないことで悩んでいます。

父母私の3人家族で育ちました。

父親は表面上の人付き合いが良いものの、プライドが高く1つダメになると全て投げ捨ててしまうような完璧主義の面があります。10年以上も資格勉強をして無職でいたのですが、結局取れず、今は職については急にやめることを繰り返しています。

母親は我慢をすることを美徳としている人で、そんな父親の自分勝手を却下せず、ただ受け入れてその分のしかかってくる負担を自分一人で埋め合わせようとします。父親が無職でいても勉強代と称して本を買いまくったり出かけまくっていても少なくとも私の前では文句一つ言うことは有りませんでした。

母親は、父親の機嫌が悪くなるとそっとでていき隣の暗い部屋でひっそりとよく泣いていました。
私が、大丈夫?どうしたの?と聞いてもあなたは知らなくていいのよ、と、抱いているであろう父親への負の感情を匂わせるだけで決して教えてはくれませんでした。
父親がいないときも、母親は、私がいるときといないときでどんなに父親の態度が違うか、そしていい面だけ見せられている私には父親の裏の顔を話すわけにはいかない、とやはり匂わせるだけ匂わせて具体的な事象は伝えてくれませんでした。
二人の板挟みになっている感覚が幼少期からあり、なおかつ兄弟がいないものでこの苦しさを誰にも打ち明けることができず成長してしまいました。

私は小さいときから20を超えた今でも、父親と母親がいるときは空気が悪くならないように、当たり障りのないどうでもいいようなことを話して悪い雰囲気にならないようにいつも気遣っています。というよりそれ以外のコミュニケーションを取ることがどうしてもできません。
父親にも母親にも自分の思っていることを素直にぶつけたことが有りません。
いつも、どうすれば地雷を踏まずにその場がなんとなく楽しくなるか、ばかり考えて、自分の考えや個性と言うものを成長させられなかったように感じています。

両親との関係だけならばよかったのですが、こんな周りの顔色を覗うような性質が、人と接する際に染み付いてしまい、なんとなくその場にいるだけで何かを主張しようとも、したいとも考えない人間になってしまいました。まだ、一対一の話であれば顔色を覗うことが容易で、本心を伝えることもできなくは無いのですが、3人以上が場にいると、全員の逆鱗に触れず否定されなさそうな、くだらない空想の話ぐらいしか話すことができず、このままではいけないと感じています。
どうしたら両親の呪縛から解放されるのでしょうか。
否定されても傷つかずにいられる自己を持ちたいです。