猫の手さん
回答ありがとうございます。私が【自分の上半身がある】と意識しないと不安を感じるようになったかというと以前にあることが原因で《まわりの人に自分の上半身が見えてないかもしれない》という考えが浮かんだことがありそのことにより《【自分の上半身がある】と思ってはいけない》と思うようになり
そのことにより以前の自分が《自分の上半身がないかもしれない》と不安に思っていたという考えがあるためです。
以前のある時に《上半身がないかもしれない》と思ったことを凄く気にしてしまうんですけど全然大したことではないんでしょうか?
もしも猫の手さんが私のように《上半身がないかもしれない》という不安な考えが浮かんだ場合どうやってその不安な考えを打ち消しますか?
回答宜しくお願い致します。
誰でも歓迎 !
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π- 2018-03-04 11:35
あることが原因と言われますが、具体的にはお話するのは
難しいでしょうか?
上半身がないかもしれないという考えが、
実は間違っていたのかもしれないと、原因を見返す必要があると思います。
その考えで本当に良かったのか、私ならそう思い納得するまで考えます。
ユウジ
π- 2018-03-09 01:35
私がなぜ【上半身がないかもしれない】という変な考えが浮かぶようになったのかということについては申し訳ございませんが具体的には話せませんがそのことについてはなぜそう思うようになったかということを思い出し解決し現在は【上半身がないかもしれない】という考えは浮かばなくなりました。
それは良かったのですが現在の自分と過去に【上半身がないかもしれない】と思ったことがなく、上半身があるとかないとか意識すらしたことがない人との感覚の差を気にしてしまい悩んでいます。
主に《じょうはがあるのは当然だ》ということを無意識のうちに認識しているか意識的に認識しているかということの違いについてです。
過去に【上半身がないかもしれない】と思ったことがなく、上半身があるとかないとか意識すらしたことがない人は《上半身があるのは当然だ》ということを無意識のうちに認識していると思います。
だけど私は以前に【上半身がないかもしれない】と思ってしまったことがあるので《上半身があるのは当然だ》ということを意識せずに無意識のうちに認識するようにすることはムリだと思ってしまいます。普通の人はそこまで気にしないんでしょうか?
あと例えば自分は日常生活の中で上半身の感覚を感じた時や上半身があることを意識した時に《上半身があるのは当然だ》と思うのですが多くの普通の人は日常生活の中でそういう風に感じたり思ったりすることはないんでしょうか?
申し訳ございませんがまた回答して頂けたらば凄く助かります。宜しくお願い致します。
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π- 2018-03-15 12:25
過去に上半身がないと思った経験があれば、それは恐怖でさえあり、
今もある事を確認したくなるのもわかるように思います。
一種のトラウマのようなものかもしれませんね。
例えば、胃腸の弱い人はいつもお腹を下さないか不安です。
常にお腹の調子を気にします。
でも、健常な人はお腹を壊すなんて考えもせず生活します。
なので、上半身を無いかもしれないと思った事が無ければ
ある事を気にしている人はあまりいないのだと思います。
原因を解決されて良かったですね。
ただ、もう上半身がないと思う事はなくなったのだとしても
一度感じてしまった事を無いことにはできないのでしょうね。
もう大丈夫だと思えるには時間を要するかもしれません。
でも、そんな事を思い悩んでいた時もあったと思えるようには
時間が経てばなって来るのだと思います。
体を動かすような事を積極的にしてみるのもいいかもしれませんね。