自分がなにをしたいのかわからなくなってしまいました。



 小さい頃、僕はわがままで頭に来たらすぐ怒鳴り散らすなど、とにかく自分勝手に過ごしてました。
 そんな自分が嫌で嫌で仕方なく、いつからか「誰かの支えになれる人になる」を信条に生きていました。みんなの心の支えになれて、分け隔てなくいろいろな人の力になれる、いわゆるヒーローみたいな強い人になりたかったんです。
 そのために自分を鍛えたり、困っている人がいたら手助けしたり、弱音を吐かないようにしたりなど、思い付くことは一通りやってきました。

 しかし学校の誰にも理解されず、いつまでたっても目標のヒーローにはなれず、中学高校を通して、みんなに同じように接していたために、煙たがれたり避けられたりされるようになってしまいました。
 それでも何とかしようと努力しましたが結局空回りで終わってしまいました。



 それに合わせるように、数年前から発祥していた父のうつ病が悪化してしまい、そこから家族関係が悪化してしまいました。

 自分の家は祖父母と両親、姉が一人の6人家族で、農家をしています。
 もともとかんしゃく持ちだったのですが、うつ病の悪化にともなってさらにひどくなり、頻繁に怒鳴り散らすようになってしまいました。姉も大学に進学していたのですが、人間関係のトラブルで実家に戻ってきており、そこから引きこもりの生活をしていました。
 これらと同じ時期に、収入が減ってしまったため、母が深夜にホテルでパートをして収入を支えてくれていました。そんな母を支えようと思い、炊事や家事など、できることをははの代わりにこなしていました。これ以上心配事を増やさないようにと、嫌なことや辛いことがあっても相談せず、家計が苦しいことも知っていたので、あまりわがままを言わないようにしていました。「なにかあったら相談してね」ともつたえていました。



 しかし父の怒りに加えて普段から母を快く思っていなかった祖父母の陰口などによって追い詰められていたんでしょう。知らぬ間に母がパート先の男性と不倫に走っていたらしく、私が高校に行っていた時間に不倫相手が家にまで上がり込み、父に離婚を迫って激しい口論になったそうです。結局離婚は不成立に終わりましたが、その日を境に家族で笑うことはなくなりました。

 学校では誰にも理解されず、家に帰っても心が休まらず、時折父の怒鳴り声が聞こえてくることがあります。
 それでも、「辛いのは今だけだ」、「いつか報われる日がくる」。そう自分に言い聞かせ、家族の中を取り繕おうとしたりしましたが、状況はむしろ段々悪くなっていく一方でした。



 家と学校の板挟みになり、段々とそれが辛くなっていき、相談しようにも誰にも話せず、誰かに助けてほしくても誰にも頼れず、本当に辛い毎日でした。

 高校卒業に合わせ、進学先は実家から離れた他の地方の専門学校を選びました。家も普通のアパートを選びました。遠くに行けば辛いものをすべて忘れて自分らしく生き生きと生きていけるとおもったからです。

 ですが、誰にも邪魔されることがなくたったと思ったのに、今度は自分のやりたいことや目標がわからなくなってしまいました。
 「誰かの支えになれる人になる」と思っても、またまえのようなことになるんだろうとばかり思ってしまうようになり、人とか変わるのさえ億劫になってしまいます。
 気がつけば、「頑張ってもどうもならないことばかりなんだ」という考えばかりよぎるようになってしまい、目標も夢もなく、毎日惰性で生きていることが普通になってしまいました。


 自己啓発本などを読んでいまの状況を改善しようとしてもなんの変化もなく、「自分はなんのために生きているんだ」ということばかり考えてしまいます。





 ここまで読んでくれてありがとうございます。これに書いているだけでもいくらか心が軽くなりました。なにかコメントいただけると嬉しいです