高校1年生です、本当に勉強が辛いです
元々完璧主義者で、中学の頃からテスト期間はいつも泣きながら勉強してました、受験生の時は本当に苦しくてこの世から消えてしまいたいとも思いました、それでももし志望校に受かって、憧れていた高校生活を送ればきっともうこの苦しみも終わるなんて思って、ようやく受かった第1志望の高校。けれど進学校で毎日「勉強しましょう」と言われ、クラスメイトには勉強マウントをとられ、、しかもテスト期間も課題も小テストも中学の頃より増えて、本当に苦しいです
中学の頃の親友は進学校でない学校に通っているのでバイトしたり遊んで充実してみえます
もうやめてしまいたいと思うけど、やめたら中学の頃の努力が無駄になるような気がしてやめられず、結局中学の頃と同じように泣きながら勉強していますが、これをまたさらに最低でも高校卒業までの2年間続けると思うと限界です
かと言って中学と違って勉強しないと留年になりますし
私はどうすれば良いのでしょうか
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GASH KIYO
π- 2026-05-21 05:19
確かに、元々完璧主義的な性格で、テスト期間に
泣きながら勉強しているような状況では、進学校の
プレッシャーとマウント、課題の量は辛いよなと
読んでいて思いました。
そんなあかりさんに一つお贈りしたいことわざが
あります。それは、「身ありての奉公」ということわざ
です。
奉公というのは昔でいう所の労働の事ですが、この
ことわざは、「人間、満足に働けるのは自分の身体が
あるから」と言う意味で、自分の心身を念入りにケア
する事が人間の活動の基本であるという事を表した
ことわざです。学校の勉強も立派な頭脳労働・デスクワーク
ですからこれはあてはまります。
他にも、テストステロンさんという方がご自身の著書で
「あれこれ悩んだときは、取りあえず寝ろ」って描いて
おられます。これガチで真理です。何故かというと、人間の
脳内では睡眠中にその日のデータを整理する作業が行われて
いるからです。だから人間に取っての睡眠ってのは、パソコン
やスマフォに取ってのメンテナンスと同じなんです。メンテを
しっかりやるからこそ、次の日のコンディションが最高に
なり、同じ事をやるにも能率が上がるのです。
まずはその辺の所からじゃないかという気が読んでいてしました。
みかん
π- 2026-05-24 23:41
同じく高偏差値帯の進学校の高1です。
私も、芸術系のイラスト科に進んだ友人がいるのですが、私が机と向かっていそいそ課題をしている間絵を描いているのだろうと考えると結構辛いです。
中学校の頃は勉強できる方だったのに、高校に入った途端下っ端になった気分。主さんの気持ちもよくわかります。私も泣く泣く受験勉強してた身ですから。
一つおすすめなのが、成績が同レベルくらいで一緒に勉強でき、他愛もない話で盛り上がれる友人を作ること。結構それだけで勉強も苦じゃなくなってくるし、何より学校生活が少しは楽しくなります。
高校3年間、一緒に生き抜きましょう。
GASH KIYO
π- 2026-06-11 01:21
させて頂きます。それは私の中学から高校時代の話です。
まず、中学時代は、私は基本ガリ勉だったので机に向かっての
勉強そのものが私の習性でした。ただし運動神経は壊滅的に悪く
、心ない人間からは足手まとい扱いされることもあったので、その
意味で自分を人並みの人間と思えた事が有りませんでした。もと
もと小学生時代には習い事で師のいないとき2対30の雪合戦
(私は2の方です)なんてザラでした。いわゆる権力者による
弱いものイジメです。だから小学生時代は集団で何かに取り組む
というを信じることは出来ず、「自分1人で結果を出して逆境を
覆さなければならない」と言う思いに囚われて自分の実際の力量
云々に関係なく、単独で今で言うチートとならなければ生きて
いけないという思いで過ごしていました。
そんな私の中学時代は、ガリ勉故に分かりやすく制服を
デコレーションしたりという形の不良というだけの行動に走らな
かったと言うだけで、心の中身は不良そのものでした。非行に
走らずに済んだのは、中学時代所属していた理科系の部活がとても
楽しく、生徒のアイディアを大事にする理念を持つ顧問がいた
からです。あの部は第二の家そのものでした。
しかし、学校の敷地外での活動が多い部で有る故に、心ない生徒
からは帰宅部と揶揄された事も有ります。普通ならスルーすると
いうでしょうが、部員数の少ない部で有る故、その手の風評被害
は来期の部員獲得にダイレクトに影響するという認識が私には
ありました。(当事者達は今は謝罪してくれた故これ以上なじる気は
ありませんが。)
その思いは3年になって自分が部長になってからは尚更強くなり
ました。せっかく入部してくれた団員がいる故そいつらを蔑ろに
したくは無い故、最初は、みんな次何やりたいーって聞いてそれを
元に明日の活動内容を決めたりもしていましたが、元に有ったのが
個人能力に拘って物事を考える気質だった故、途中からは独裁者と
しての色合いが強くなり、業務を自分ばかりに集中させる傾向が
強くなりました。
それが決定的になったのは、文化祭の時です。部活でも出し物を
やると決めていたけれど、立場的にはみんなそれぞれのクラスで
出し物が有る訳だから、それの準備に参加するというのが当然
という立場が有りました。
さて2つの出し物をどう準備するか。そんなことを私が考えて
いた時に担任からは「クラスが優先」とハッキリ言われました。
それは正論ではあるけれど、誰もがそれでやったら、部活の出し物
は出来ない。それは来期の部の存続に関わる問題であった故、私は
担任の言葉を無視しました。その時には、言葉としては無かったもの
の、準備しているクラスでは「何あいつ!」という目で見られました。
そして部の出し物の準備に特化して動き出しました。しかし自分の
判断で、他のメンバーに救援要請を出さなかったのです。他のメンバー
にも部のことをやれといったら、他のメンバーもクラスで(何あいつ!)
と言う目を向けられるんじゃないかという思いがあったから。
それでたった1人だけで理科室で展示資料の準備を続けた。準備は無事
成功して、当日には他のメンバーも来てくれた故それは有り難かったけど、
私の心は痩せ細り、部を家と認識する元来の心が失われた状態で引退の
時を迎えました。教師志望だった私に顧問は、「kiyo君きみはメンバー
1人1人の本来の力を充分に引き出せていたかい?」との問いを宿題として
提示しました。父の話では、「どうやらkiyo君は周りの風評におびえ、
責任意識に囚われる余り、部を愛した本来の心を見失ってしまったようだ」
と顧問は愚痴っていたとのことです。
まあ救いは高校に合格して卒業した事ですが、進学先は県下有数の進学校。
そして私は何と、部活を2つ掛け持ちし、それと別に空手道の道場にも通う
という荒行に出たのです。それはできるという確信が会ったからではなく、
「中学時代あんな事になったのは、俺個人の業務能力不足だ。それ故周りを
見る余裕も無く、無能部長になったんだ。」 と言う思いがあったからです。
(今から思えばこれは盛大な勘違いです。それだけは何度でも言います。
顧問もメンバーもそんなこと思ってなかった。)
しかしその勘違いゆえに私は自分を人並みと思えず、それ故に「俺のような
奴は人の3倍地獄見ないと同レベルには追いつけない」という思いで無茶な
スケジュールを組んだのです。その結果として、例えば途中である恩師が
「kiyo君、今のきみに本当にこれだけのことをいっぺんにこなすキャパがある
のか?そこよく考えろよ。」と忠告をくれたにもかかわらず、それすらちゃんと
きく余裕が無く、計画性の無い暴走を3年間続ける事になった。当然休日に
高校近くの町で遊ぶ気力などありませんでした。一回応援団仲間と食事したり
カラオケしたりはしましたが、異性と遊ぶなんてゼロでした。そして時間の
使い方に無茶があった故部活ではことごとく信頼関係の構築に失敗したり、
友を失望させたりという形で引退の時を迎える事になったのです。
そして第二志望の大学に受かったは良いものの、普通なら意気揚々と将来への
希望を語り新生活に胸を踊らせるのでしょうが、。そもそも私にはそんな気力が
無い状態だった。なんとか生活を続けるのが精一杯で、大学の同じ学部の他の
メンバーのノリと私の間には明らかな落差があった。それを決定的に打開する
術が当時の私には見いだせなかったが故、教育実習にもまともな状態で臨みよう
がなく、教員の道はそこで断念せざるを得なかった。大学自体はコース変更で
卒業したけれど。
この話をしたのは、今の貴方を放置しておくと、あのときの私と同じ道を辿って
しまうと思ったからです。
でも、高校時代の、まだ1年という段階なら、軌道修正は十分出来ます。
そのためにまず大事な事が何であるか。それは、「ここまでの自分の苦労や試行
錯誤を、自分自身がしっかり見つめて、受け入れてあげる事」です。査定という
やり方では無く、赤ちゃんを抱くときのお母さんのノリでね。決してボロボロの
自分を、休養や回復を考えず更に追い込む事では無いのです。周りとの比較云々
以前に、あなたがあなたとして辛酸をなめながらも取り組んで来た。数字として
の結果云々を言う以前に、まずそれ自体がすでに経験として今後の、人生を考える
上での良い意味での財産になりうる事なんです。やりようによっては自分や他者に
福利をもたらす知恵にかえられます。そのための書籍を探したりここや先生に
相談したりして知恵を求める事も、高校時代の勉強の上では大事です。だって勉強
の本質は、「必要なときに知恵を求める」事にあるのだから。
このことに関しては、既にこのスレッドに証拠があります。泣く泣く受験勉強を
し今もプレッシャーや山ほどの課題、マウントと戦っておられるあかりさんのもと
に、みかんさんのように「私も泣く泣く受験勉強した身です。気持ちよく分かります。
一生に勉強できる人を見つけるとか(学友と言います)、たわいも無い話を大事にする
だけでかなり違います。一緒に3年間生き抜きましょう」とまで言ってくれる人が現れた。
みかんさんのこのレスが本当に重要なものであることは, 私の昔話を読んでから改めて
見れば理解できると思います。
こういう時本当に大事な事って、一見するとちっぽけで大したことなく見えるものです
から。
さて、私からは、「石ころとダイヤ」と言うタイトルで話が出来ます。
石ころとダイヤで有れば、装飾品としての金銭的価値はそりゃダイヤに軍配が上がります。
しかしそれは、ダイヤに比べて石が無価値という事では無いのです。
例えばうちの町では、古くはそこら辺の石ころを、男の子と話すための合図のツールとして
使っていた女の子がいたりもしたのです。そして大きい石材の中には、寿司屋さんや板前さん
が包丁を研ぐための砥石として使われているものもあり(研がねば切れ味が落ちるのでネタの
味や食感を維持できないという理由でね。)、更に言えばその砥石が凹んで使い物にならなく
なったときに、砥石そのものを研ぎ直すために石を使っている業者さんもいるのです。
そしてお城には、今でも石垣がある。
そして冬になれば、(石やーきいも^^)というかけ声で熱々の石を使って焼いた芋を売る屋台が
あったりするし、ステーキとか提供しているレストランでも、ステーキそのものは普通に鉄板など
で焼くとして、お客様に運ぶ皿に熱々の石をそえて提供している店とかあります。食べる側として
は、どうしてもかかる配膳の数分でちょっと冷めたステーキを一切れ食べる直前にその石に押しつ
ければ、石の熱でステーキが熱々に戻って美味しく食べられるのです。