性犯罪にあった過去がいつもちらつく、朝が来るのが怖くて、毎日自殺しなければと思っています。

 出来そこないの自分に消えてほしくて、毎日首吊り自殺することを考えてるのに実行できない自分が憎い。
死にたい気持ちが消えない、頭がモヤモヤ、フワフワだるくて、全身に不安感がまとって気持ち悪い。
自分の頭を手で叩いたり、一人自分の部屋でドアノブにヒートテックやレギンスを括り付けて、夜中になると首を絞めて頭に血がいっていないのかぎゅうっとする感じがして後もう一歩行けばいいのに引き留めてしまう日々が1週間くらい続いています。家族(今家にいるのは母と愛犬だけ父は祖母の介護のために退職して田舎に帰っています。)とも会話できなくなって3か月弱、心配する手紙が部屋の前においてあって、なかなか読めなくて今日やっと読めたけれど、泣き腫らしては鼻をかみ、少し落ち着いたと思ったらまた泣き腫らすの繰り返し。自分で自分が制御できない。死にたくてどうしたら死ねるのかなと、ドアの前にパズルマットで陣地を作って、亡くなった愛犬の写真たちを並べたり、母がくれたプレゼントを並べて、お気に入りだった柔軟剤の香りがする洋服を抱きしめて、睡眠導入剤を飲んで首を絞めれば、死ねるだろうかと毎日毎日考えています。自殺の方法のサイトとかばっかり見て今日も死ねないのか弱虫って自分のことが嫌いで憎くて仕方ない。死んでしまったおばあちゃんに会いたいと思ったり、亡くなった愛犬に会いたいと奮い立てるけどまた今日も死ねない。でも日に日に頭が割れそうで、ときどき考えることができなくなって振り切れる瞬間が昨日くらいから出てくるようになって今なら死ねるかもしれないって思うときがあります。このまま壊れていけば死ねるんじゃないかって。自分が自分じゃないみたい。

【性犯罪にあった過去】
2015年に勤めて1週間のインターナショナルスクールの職場で30代の男性上司から「仕事ができなくなるぞ」とキスやオーラルセックスを強要された後、「汚れちゃったね」って言われ、次の日も出勤日だったので放心状態だったのかよくわからないけれど仕事に行かなくちゃとその日は我慢して次の日出勤しました。耐えきれず、休みになった土日に母に打ち明け、会社をやめた過去があります。警察にも相談したけれど、私がその日着ていた洋服を家ですぐに洗ってしまったので証拠がないと、結局警察にどれだけ強い力で押し付けられたのかとか、ちゃんと抵抗したのかとかそんな感じで聞かれ、自分を丸裸にされて終わっただけでした。でも、担当してくれた刑事さんが、事件として物的証拠がなくて起訴できないけれど、状況証拠の内容は間違いなく黒で犯罪です。何度か上の方にかけ合ってくれたとも言ってくれました、たとえそれが嘘だとしても、その時の私は少しだけ救われたように感じてたと思います。

なんとなくそこから少しずつ壊れていったような気がします。父や母に弟に申し訳なくて明るくいなければの家を掃除したり、ご飯を作ったり、自分は元気大丈夫って心配かけちゃいけないって考えたように思います。ただ、3か月くらいして、お母さんに婦人科で性病検査をしに行かなきゃと言われたときはなぜだか震えが止まらなくて泣きじゃくりしばらく行きたくないと駄々をこねてました。性病検査は警察の方からも行くように言われていたから行こうって思ったのに怖くて恥ずかしくて行きたくなかった。お母さんに病気にかかってたらどうするの?!って怒られてやっとの思いで産婦人科に行ったけれど、待合室でも診察中の先生の前でも帰る時まで泣きっぱなしでした。結果をもらいに行く日は怖くて行けないと母に行ってもらい、異常がなかったことに安堵してまた泣きました。
それから明るくとにかく笑おうって思って1年半過ごしていました。ただ、自分でもおかしいなって思っていたことがあって、外出してて、男子大学生の集団の人たちが多分韓国の方で旅行に来ていたのか、写真を頼まれたんです。この時、私は一人だったのですが、怖いって思いました。近寄らないでと思って、さっさとシャッターを切って逃げ出したいって思いました。

性行為を強要した上司の顔がプロレスラーの飯伏幸太さんに似ていたので彼がテレビに出ると瞬時にチャンネルを変えていました。私の単なる偏見で、何の関係もない飯伏さんには申し訳ないのですがを見かけると気持ち悪くなってしまったのです。今見かけても、多分同じ行動をとってしまうと思います。 また上司も180㎝くらいあって身体も大きかったので、かぶせて見せてしまったんだと思います。

上司が持っていたのを見た事がある、カロリーミットを見るのもなぜか苦痛で視線を避けてしまいます。

いつだったか、気分が明るくなるようにと父が買ってきてくれた衣類スプレーのラボン(LAVONS)のラグジュアリーリラックスの香りが上司の上着から香っていた匂いな気がしてせっかく買ってきてくれて父に申し訳ないのに使うことができませんでした。今も香りを嗅ぎたくありません。

外出するとき、マスクがないと不安でした。一人の時はいつもつけてたし、母と買い物に行くときでも忘れてしまったときは何となく周りに人の顔をみないようにしてました。どこかであの、上司に会ってしまったらどうしようって思っているのかもしれません。いっそ整形したいって思ったこともあります。今もマスクがないと不安です。

去年、の12月ごろ、ふと仕事を始めなきゃダメだって思ったんです。でもなぜか、やりたいこともどう活動していいのかもわからくなってる自分に気がつきました。栄養士の仕事をしようと思えなかった。栄養士のことを考えるとなぜか性犯罪のことを思い出してしまって気分が悪くなってしまいます。またインターナショナルスクールで英会話の勉強もしてたのに、あの場所を思い出して英会話を避けるようになりました。
28歳になってました。ろくに職歴もなくて、面接で、性犯罪にあったので前の会社辞めましたなんて言えないし、なら、どうやって説明したらいいのかわからない。恥ずかしい。見られたくない。頭がグルグルして周りの景色が色を無くしたみたいに、動けなくなりました。弟も家を出て結婚してます。自立してるのに私は空っぽでいつまでも甘えてて踏み出し方もわからなくて弱くて人が怖くて、そんなことを考えていたら、笑うことに罪悪感を感じるようになりました。食べ物を食べておいしいって思うことも自分はしていいのだろうか、母と買い物に行くことも、誰かに心配してもらうことも自分にはもったいなさ過ぎて、気にかけてもらえる幸福が嬉しいはずなのに悲しくて、自分が何をしたらいいのかも考えられなくなって、別に誰にも出てけよって言われてないのに世界に取り残されて何時か私を大切にしてくれる父や母も死んだおばあちゃんや愛犬のように居なくなってしまうんだって思ったら、なぜか今死にたいって感情が出てきました。人を信じることが怖いし、また新しいまだ見ぬ誰かがたまらなく怖い。特に男性が怖い。
1人だけ友人に性犯罪にあったという事実をメールで告げた人がいるけれど、毎年、誕生日やクリスマスカードやメールをくれるのに見れないんです。捨ててしまったこともあります。向こうからしたらこんなに気にかけているのに音信不通ってあり得ないはずなのに、なぜだろう、怖くて送ってくれて、感謝してるのに、ありがたいのに怖くてたまらない。
幸せを感じることが怖い。朝が来ることが怖い。今日もまた自分が呼吸して、心臓が動いているのが気持ち悪い。


<経歴>
大学卒業直後
 2010年に大学を卒業したけれど、就職が上手くいかず、焦って契約社員の管理栄養士として、委託の給食会社に転がり込んだけれど、契約内容では一日8時間でしたが、大幅に違う一日17時間の労働で、時給900円、ボーナスなし、タイムカードがないため、時間外労働はほとんど賃金に入れてもらえなかった。というより残業しても残業と書くなとの会社方針でした。勤務先は病院、栄養士が少ないため、研修もなく、同期も居ず、その場その場で身体で覚える、メモは取るな、1週間立っても覚えられないなら、陰口を言われたり、上司が備蓄し忘れた患者に提供されるはずの副菜がなかったので、上司にない旨を伝えたら、別のものを渡され、上司に従い提供の準備をしていたら、病院側の栄養士に何で違うものを用意してるんだ、聴いてない!と怒鳴られ、ああ、上司が伝え忘れたのかと思い説明しようとしたら、上司がやってきて、「どうしたの?・・ああそれ入れちゃったの?」って言われたところでああ、私のせいにされるのかなと考えていたとき、調理師の女性が、「Aさん(上司)がBさん(私)にこれで用意しろっていってたじゃない!」って言ってくれて、その時は、ああ助かったとか思っていたけれど、その後も何度か私のせいにしようとしたりでした。庇ってくれた調理師さんや調理補助のお母さんたちの話では、Aさん(上司)は、よく人のせいにしたり、ミスを隠そうとするから気を付けろって言われていました。だけれど職場には、栄養士がそのAさん(上司)と私しかいないから、職場の決まりで、Aさんか私のどちらか必ず出勤してないといけないといわれ、次に休めるのはいったい何時だろうと休みまでのカウントとダウンを手帳でバツ印を書いてひたすら待つ状態でした。必死になって覚えて動いて、女性が多い職場だから嫌われないように嫌われないように呪文見たいに唱えてました。勤務一か月目で上司のAさんが3日間の韓国旅行に行くとからと言われたときは、自分しか栄養士がいない状況で調理場回るんだろうかと不安で頭が割れそうでした。丁度、自分にとっては初めての行事食という日が重なっていて、食器もどれ使うんだかの状態でした。周りの調理師さんや調理補助の方がサポートしてくれたのでなんとかしのいだけれど、毎日胃がキリキリしてお腹も下してました。そんな風に過ごしていたら、いつの間にか、ご飯が食べられない、吐き気がするようになってました。休憩時間といっても、出勤してるときは一日中、病院地下一階からずーと出られません。その休憩時間と言われる30分くらいの間に、病院の普通食を昼食は必ず、病院側の栄養士も交えて、調理場の調理台で食べるのが昼食です。1か月サイクルメニューなので一か月したらまた同じ普通食が巡ってきます。初めの3か月ぐらいはメニューを覚える勉強になるかとか思っていましたが、
だんだん食べることが苦しく、気持ち悪くなりました。好きなもの食べに外に行きたいと。病院側の栄養士さんは基本17時にはお帰りになるので、病院の普通食を昼食代わりに食べて朝や夜は自宅か外で食べられますが、私たち、委託の栄養士は朝も昼も夜も、なにせ栄養士2人しかいないのでずーと調理台で病院の普通食を食べねばなりません。
そしてその食事代は給料から一食あたり480円引かれていきます。私、委託の栄養士は×3で一日1440円引かれていきます。昼食は病院栄養士さんが加わるのから特に暗黙のルールで病院食を食べねばならない、栄養士な私は毎食の病院食から逃れることはできませんでした。食べられないよりはいいと思われるかもしれないけれど、私にはダメでした。お腹がすいてないと食べれない、残すの日々、本当は空いているけど病院食は食べたくない、地上に出たい、地下に居たくない、可愛がってくれる調理師さんも調理補助のお母さんたちもいたけれど、心身を壊して、「もう病院食は見たくない、地上に出たい」とやめないでくれという担当SVやもう少し上の地域SVの前で泣き叫び、とわずか5か月でやめました。ここを辞めたこと自体は後悔していません。休みの日に家でも突如泣き叫び、お母さんの作ってくれたご飯を泣きながら美味しい美味しい、病院食食べたくないと繰り返しては、吐いたり、お腹を下していた日々、休みの日は死んだように眠り、出勤日に絶望していた廃人のような自分を思えば、そう思います。

2011年から2014年
家事に没頭して、家族のご飯を作ったり、老衰していた愛犬の体調を見たり、お世話をしたり、調剤事務の資格を取ったりしてました。無職の状態でした。前職のように焦って決めないようにしようと就職活動はしていたけれど、5か月で前職を辞めていたので中々自分の思うようには行きませんでした。調剤事務の資格を取ったけれど、心の中ではまだ栄養士の仕事をしたいと思っていた気がします。この時は死のうなんて思ったことはなかったです。前向きでした。

2015年 
働いた日々からのブランクがありすぎて怖くて怖くて仕方なかったけれど、必死に自分を奮い立てて、電話をかけ面接し、自宅近くのインターナショナルスクールで新しく給食を提供することになったと栄養士の募集があったので、イチかバチか受けて、正式に採用してもらえ働くことになったけれど、勤めて一週間後、上司(30代)から性行為を強要されて辞めることになりました。その上司は、自主退社したと採用の方から連絡を受けました。