無価値であるということに対して著しい恐怖心があります。

今までいろんな方に相談してきましたが、大体自己肯定感の極端な低さを指摘された上で「そもそも人間の価値など人間がはかるものではない」、「身も蓋もないことを言えば自分(相談に乗ってくださった方)だって価値がないかもしれない」という言葉をもらってきました。

確かに、ひとつの職場で明日この人が突然働けなくなったら現場は一切動かなくなるなんてことは滅多にないと思いますし、芸術などの才能の分野でもどんなに突出してるように見える人でも更に上がいたりする世界だと思います。

私自身、人に胸を張れるようなことがないだけで、警察のお世話になったことはありませんし、裁判所で裁かれてる人間よりはいいじゃん、と言われたこともあります。

ですが、それでも自分が世間一般から見れば「甘えている」と叩かれてもおかしくない状態でいることが恐ろしくてたまりませんし自分を肯定できません。

また、今までいい学校に行けるようにたくさん勉強したり就職に有利になるように資格を取ろうとしたり、せめて自分の見た目くらい好きになりたいとダイエットしたりいろんなことに手を出してきましたが、全て途中でストレスに耐えきれず爆発してしまい上手くいっていません。

嫌なことがなければ頑張れるかと言われるとそういう訳でもなく、前の職場は仕事内容が私の性格にあっていて、周囲の方も優しくしてくださるとてもいい職場で、難点といえば家から遠いくらいのことだったのですが、ある日突然布団の上から起き上がれなくなり退職せざるを得ない状況になりました。

現在無職で、精神障害を抱えているので就労支援のお世話になるという話になっていますが、そこでもまた以前のように理解できなかったり苦しかったりが溜まっていった瞬間破裂してしまうのではないかという恐怖心があります。

人に誇れる部分がないのがたまらなく嫌でどうにかしたいのに、それから脱するためのことに手を出そうとすると過去の失敗を思い出してしまいます。

それだけでなく、自分が現在人から蔑まれていてもおかしくない無価値な人間であるということの精神的負担が大きく、何をするのも辛くて仕方ない状態です。

人から慰められても無価値ではないと言われても上手く飲み込めず、相手に気を遣わせてしまったという自己嫌悪でいっぱいになります。

せめて死ぬくらいのことは出来たらいいのにとよく思いますが、自殺どころか自傷すらろくに出来ません。

先端恐怖症、高所恐怖症などもありますが、そもそも甘えているので苦しいのは嫌だという思いが先行してしまうのだと思います。

どうしたらいいのかという解決方法はたくさんあるのに、自分の気持ちに阻害されています。この気持ちをどうにかしたいです。