大学一年生です。
三年間医学部浪人をしていましたが、去年から鬱と診断されて浪人生活を打ち止め、今年からは自己推薦で合格した大学に通い始めています。

鬱になったきっかけは三年前、浪人を始めたての頃の祖父の死でした。

自分は父と母が結婚せずに生まれた子供で、人生の中で父親という存在を知らずに母子家庭で育ちました。幼い頃は母が夜な夜な夜の仕事へ行っては深夜になって疲れた顔で帰ってきました。その姿を見て、母に楽をさせてあげたい気持ちはずっとありました。
そんな自分にとっての祖父というのはほとんど父親のような存在でありました。小学一年生に上がる頃まで、出稼ぎに行った母は私を祖父母の家に預けてましたが、祖父はあまりにも素晴らしい人でした。そうして今の『私』という存在は、半分が祖父によって形作られていると胸を張って言えるほど、私は祖父を深く愛していました。そしてあまり表沙汰にできない事ですが、今になって自分は、祖父の事を父としてだけでなく恋人として愛している気持ちもあると気付いています。現に、私は祖父と同じ年齢層の70〜80代の男性がタイプなのです。

祖父が死んだという知らせを受けた時、私は全身の力が抜けて窓ガラスにもたれかかりました。電話を握って泣きじゃくる母になぜか苛立ってしまい、外の方に向けて顔を背けたのを覚えています。そして心の中ではなぜか「ああよかった」という気持ちとともに笑みが溢れました。自分でも分かりませんが、これで祖父は永遠に変わらない存在になったのだという安堵でした。涙は二粒くらいしか出ませんでした。

当時はまさに浪人生活を開始したばかりの多忙期でしたので、祖父の葬式にすら行くことができず(祖父の家は海外にあります)、相変わらず毎日毎日予備学校で缶詰になっていました。私は元々文系から無理やり理系に入りましたので、数学や化学が目も当てられないほどに酷かったのです。しかし医学部合格のためには苦手科目などあってはならない、と多くの講師が口を揃えて言いましたので、自分は必死に苦手を克服しようとひたすら勉強に打ち込みました。
祖父が亡くなったことなど、まるでなかったかのように。

一浪めは大失敗でした。十校受けて、合格は一つもありません。センターでは得点率は7割半とれましたが、現役時代の6割に比べれば幾分か成長はしたので、受験シーズンが終わった途端に再び勉強に打ち込む日々の始まりでした。しかも今度は大人数で受講するようなところではなく、れっきとした医学部受験の個人指導専門私立塾でした。そして学費はかなり高額でした。母には「お金の心配はいらない」と言われましたが、毎度授業のたびに「こんなたった90分の授業で2万円近く払うなんて」と罪悪感が突き刺さりました。その塾は全員にトイレの個室程度の広さがあるブースが与えられており、授業もそこで行われました。そして授業以外の時間はひたすら自習をしました。私は数学が苦手なので、白チャートを三周→黄チャートを三周→青チャートを三周、というふうにいろんな科目を休みなしに朝から晩まで解き続けました。
変化はこの頃から訪れました。
問題を解いていると急に涙がボロボロ出てくるようになったのです。最初は祖父の死がフラッシュバックしているのかと思い、泣きながら祖父への思いをノートに綴ったりもしました。しかし、昼ごはんのおにぎりを食べた後ボーとしている時にも涙が溢れるようになりました。数学を解いていたノートには無数のシミができました。「目を使いすぎたんだろう、きっとそうだ」と自分に言い聞かせて無視しました。元から医学に興味があったので、この突然泣くことが心のサインであることは知っていましたが、とにかく無視をしました。受験を控えていますので、死なない限りは無茶をするべきだという考えを持っていたのです。

二浪め、またしても失敗でした。苦手だった理数科目は大きな飛躍を見せてセンターの得点率が9割超えました。しかし国立の医学部を受けるには一歩足りず、私立の医学部ではちらほらと一次試験を通過しても二次試験で全てふるい落とされました。それは大きなショックでした。一年間の授業代数百万も、文字通り血が滲んだ勉強も、後一歩のところで徒労に終わったのでした。

ここで選択を迫られました。浪人を続けるかどうか、です。医学部では多浪は珍しいことではありませんが、女性として婚期が遅れることは特に母からは憚られました。しかし、私にはどうしても医学部に入りたい理由がありました。それは祖父の死因です。祖父は脳梗塞で数日もがいて死にました。もし私に医学の知識があれば、もっと早期に発見できたのではないかと、今でも考えずにはいられないのです。そして母も同じような目に合わせないためにも、自分が一人前の医者になればいつでも母を診てあげられると考えてました。母は私を形作るもう半分です。半身たる祖父を失って、また母を失ったら私はもう形を保てなくなると思っています。重度のマザコンです。

これらのことから、私は不合格通知が届いた当日に日本でもトップに入る超有名な医学部塾に電話して三浪めに突入しました。電話の翌日から勉強がスタートしたのを覚えています。
新しい塾は今までで一番過酷なところでした。二浪目の塾より少し広めなブースがありますが、一回の授業時間は二時間半でした。毎朝単語テストが実施され、各単元の確認テスト(合格点は満点)もあり、朝の6時から夜の10時まで強制的に拘束されます。外出するときも受付に一言申し付けていました。

「今度こそやってやる」「大丈夫、自分は成長している」「おじいさんも私が医者になることを期待してるはず」「これだけお金をかけたからもう失敗するな」
毎日こうした考えが頭の中をぐるぐる回り続けました。

授業を聞く→小テストを受ける→授業ノートの見直し→教わったことは絶対に覚える

という流れを4ヶ月、土日も行って自習して続けました。

やがて最初の二ヶ月後半から、私の身も心も下り坂に本格的に突入しました。
以下の症状が顕著に現れ始めました。
◯不眠
◯文字が読めない(見知らぬ記号に見えて意味が理解できない)
◯幻覚(黒い人が周りをウロウロする。コップがぐるぐる勢いよく回る)
◯幻聴(教師の言葉に混じって「しね」「しね」と聞こえる
◯教科書はおろか、好きな小説の文章も理解できない
◯暴食と絶食の繰り返し
◯全ての人が自分を嫌っているという妄想
◯大好きだった絵が描けなくなり、ピアノも弾けなくなる
◯趣味が完全に無くなる
◯笑えなくなる(笑うと筋肉が引き攣る)
◯授業中に急に涙が止まらなくなる(前髪とマスクで隠していた)

そうして毎朝毎晩、ホームで電車を待っている時にはいつも最前列で立つようになりました。「電車が参ります」と電光掲示板に表示されるたび、期待しながら顔を上げ、遠くから迫ってくる電車に視線が釘付けになりました。飛び込んだら楽だろうな、となぜかわくわくしていました。本当に恐ろしい状態だったと今になってよくわかります。ピアノや絵を描くことよりも、あの時の私にとっては電車に飛び込むことが何よりも幸せな事だったのですから。けれど理性のブレーキはなかなか緩まず、私はなんとか飛び込まずに済みました。

ある日の昼食後の休憩で、私は突然雷に打たれたような衝撃を抱きました。自分はもしかしてヤバイんじゃないの、と。すぐに携帯を取り出して、母にかなりの長文で自分の状態を書いて送りました。何度も手を止め、涙を拭いて、震える指で文を打っていたことを覚えています。今でもなぜ気が付いたのかわかりませんが、きっと神様が挽回するチャンスをくれたのだと思います。
翌日、初めて塾を休んで母の付き添いのもとで心療内科に行き、鬱病であると診断されました。
そして一ヶ月後には退塾を決断して、私は医学部受験の戦いから完全に身を引いたのでした。

鬱の原因は勉強による過労だと言われました。そんなことから、私は勉強というものにはまるでアレルギーみたくなってしまい、大学に入るまでは一切勉強に手をつけなくなりました。自己推薦は幸いにも論文と面接だけで受けられましたので、そこで合格して入学できました。今は毎日友人たちに囲まれて、生来の明るさを発揮できつつあると思いたいです。
しかし、明るければ明るいほど闇が顕著に現れ始めています。

私は自分が鬱の治療中であることを一人の友人にだけ打ち明けています。鬱病であることは、私にとって大いなる屈辱であり、友人はあまつさえ先生たちにも教えていませんでした。唯一打ち明けた友だちも拒食症を経験していたので、同じ心の病気を持った者同士、きっと理解してくれると期待していました。
しかし彼女は「あなたは考え過ぎてるんだよ。貧しい国の人は今日を生きるのに精一杯だから考える余裕なんかなくて、だから鬱病とか全然ないよ」と言いました。つまり、私が恵まれた環境にいるから考える余裕ができて、それで鬱病になったのだという主張です。最初はハッとしてすごく感激しました。やはり自分は甘えているだけなんだ、本当にダメなやつだ、もっと頑張れ!と自分を鼓舞しました。翌日には心療内科に行って、貰っていた抗うつ剤の減薬をしてもらいました。

そして今、減薬を始めてから一週間めですが、まるで治療当初に戻ったかのような酷さになっています。あれだけ母には自殺を考えないことを約束したのに、また、あの電車に吸い込まれそうな感覚が蘇りました。昨日はピザ1枚を一人で食べたのに、今日は茶碗蒸し一つでお腹がいっぱいになりました。暴食と絶食が戻ってきています。ほぼ一年間かけて休養して薬も飲んでいたのに、減薬した途端このザマです。自分は治っていなかったんだと絶望しています。楽しい大学生活も、明るい未来も、わたしにはないのでしょうか。ただ普通の大学生としてみんなと馬鹿騒ぎしたいです。何も考えたくないです。最近は大学を休む日数が増えて、単位も心配です。鬱病であることを大学に知らせれば配慮してもらえるというのですが、知らせるべきでしょうか。しかし鬱であることが恥ずかしくて仕方がないです。できれば教えたくないし、配慮されて他の子と違う扱いを受けることを考えただけで吐き気がしてきます。最近は酒を飲んで忘れるという方法に手を染めて、毎日酒浸りです。

私はどうすれば良いのでしょうか。
長文になってしまったごめんなさい。ただ何か一つでも提案を頂きたいです。どうかよろしくお願いします。