初めまして。20代の大学生です。
医療系の大学に通っていますが、先日精神科や小児医学の勉強をした際に気になったことがあり、相談させて頂こうと思った次第です。よろしくお願い致します。

私は三人男兄弟の次男として生まれました。父は二人兄弟の次男として生まれ、私の祖父母から体罰を含む非常に厳しい躾を受けて育ったそうです。母は三姉妹の次女で、中間子独特の寂しさを抱えながら過ごしたと思われます。

私は軽度のADHDを持っていて、幼いころから随分手のかかる子供でした。物を無くしたり、友達と喧嘩したりといったことは週に一度は必ず起こしていたと思います。父は気に入らない言動があったりすると1時間以上に及ぶ説教に体罰を合わせて僕に行ってきました。母は私が血を流そうが泣きながら謝ろうが数時間正座をさせられようが、それを止めることはありませんでした。そのくせ過干渉で、自分の考え通りに子供を動かそうとする人でした。
下の兄弟がいたこともあり、両親に甘えたり、抱きしめられたりといった記憶はほぼありません。そもそも学校で嫌なことがあったりした時相談しても「お前のここが悪いからだろ」といった内容を返されるのがオチでした。つまるところ、両親から愛されたという記憶がほとんどありません。良い子にしていなければ殴られる。怒鳴られる。けなされる。「私は良い人でいなければ生きてはいけない人間だ」と、自己否定を繰り返し続けながら今日まで生きてきました。
最も辛かったのは小6の転校直後でしょうか。転校する必要がなかったにも関わらず親に私立の小学校に転校させられ「友達がいなくて寂しい」と涙を見せると、父親に流血するほどの殴る蹴るの暴行を加えられ、「◯◯ちぎり取って女になるか」「二度と泣き言をほざくな」と怒鳴られました。相変わらず母は一歩下がったところで見ているだけでした。
その日以来、両親に対する相当な怒り、憎しみ、悲しみ、絶望感を抱えて生きてきました。…最もそれを解放することは許されませんでしたが。転校先は担任がモラハラを繰り返す等相当な問題をかかえている人で、信頼できる大人が皆無だったという状況も悪化に拍車をかけました。

小中時代はバスケットボールをやっていて(規律は非常に厳しく、体罰もありました)エースとして活躍していましたが、小学六年生の時に指導された無理な練習が祟って膝に大怪我をし、高校での競技続行は諦めざるを得ませんでした。
その時も親は「そのうち治る」といい、簡単な処置以上のことは全くしてくれませんでした。

現在は年を取り親はずいぶん丸くなりました。が、相変わらず気に入らないことがあると不機嫌な態度を露骨に表します。「あんなに世話を焼いてあげたでしょう」…私が最も望まぬ言葉です。
なんて幼稚な親なのだろうと近頃は諦観も生まれてきました。彼らに対し愛情を必死で求めてきた子供時代の自分が可哀想でなりません。

恐らく私はアダルトチルドレンの症状を持っていると思います。ある日突然生じた回避性人格障害や、常時感じる希死観念などがそれを裏付けていると感じます。
浪人はしたもののそれなりの大学に入り、容姿や学業成績も人から褒められる程度にはあります。自分の良いところを挙げろ、と言われればそれなりに答えることもできるでしょう。しかし、アダルトチルドレンの症状が頭から消えることはありません。「自分は価値のない人間である」「自分は幸せになってはいけない」「自分は頑張り続けなければ生きてはいけない人間だ」「こんなに辛い日々を送り続けるならば、もう死んだ方がいいのかも知れない」という観念が私を苦しめます。それなりに友達は多いはずなのに、孤独感と劣等感で胸が張り裂けそうです。

こんな私が、日々心穏やかに幸せに生きるようになるためにはどうすれば良いのでしょうか。
また、私は明るい未来を手にすることができるのでしょうか。
いつかは幸せな家庭を築きたいと、機能不全家庭の負の連鎖は僕の代で断ち切り、いつか生まれてきてくれる僕の子供には親の愛情を一身に受けて幸せに生きてほしいと、強く、強く願っています。
ですが、現在はそこまで気に回す余裕はとてもなく、自己否定感にもがき苦しむだけの辛い日々を過ごしています。

長文になってしまいましたが、何か掛けてくださる言葉がございましたら、どうかよろしくお願いいたします。