母親との関係に悩んでいます。
私は思春期から出られていないのでしょうか
いつになったら「なにもしてないこども」じゃなくなるのでしょうか

私はここにいらっしゃる他の方々のように苦労している環境にいる訳ではありません。家庭もどちらかといえば裕福で、勉強は少し得意です。優しい弟がいて、話を聞いてくれる父がいて、頑張り屋の母がいます。客観的に見たら理想のような家庭なのだと私も理解しています。けれど、母親といる時間の後味が必ず悪く、それが恐らく原因で情緒が不安定気味で困っています。

母親は、毎日とても頑張っています。ご飯は美味しいし洗濯も掃除も完ぺきではないと彼女は言いますが、私には来世だってできないんじゃないかってくらいです。謙虚でもあります。それが故に、彼女曰く私は「なにもやっていないこども」のだそうです。確かに忘れ物も多く寝坊も多く生活能力は大してない私なので、彼女に比べればなにもやってないのかもしれないのですが、私が毎日頑張っている勉強は、友達との関係は、家族と「仲良く」するための努力は「なにもやってない」なのか、と思うと辛いです。そして「なにもやっていないこども」が母親にマイナスなこと(提案、指摘、文句)を言うのはありえないことなのだそうです。母親の発言に傷ついて抵抗する度にそうやって毎度怒られます。私のメンタルがすぐ傷つくくらい弱いのがいけないのでしょうか。私の努力があまりにも足りないのでしょうか。

また、彼女は頑張っているが故に、彼女の理想の家族像に反することは「ありえない」「失礼」と怒ります。
例えば、「人と比較されて怒られるのは嫌だからやめて欲しい」という提案をしたら「こんなに頑張ってるのになんで私のやり方に文句を言うの。」と怒られます。「なにもやってないこども」である娘が一人前みたいな体で親の教育方針に文句を言うことはありえないし、親の努力に文句を言うこともありえないのだそうです。
また、先日は、私の一番好きな人が、自分または家族でないことでも怒られました。彼女曰く家族はお互いのことを一番に好きでなくてはならないそうです。でも、申し訳ないけれど、いくら彼女が私に尽くしてくれようとも私が一番に好きなのは彼女でも家族でもないと思っています。私は私に一番利益があるからその人のことを好きになるわけじゃないと思うのです。いくら母親がどんなに私の生活を支えていようとも「好き」とは違うと思うのです。私が好きなのは尊敬してあんな人になりたいと思わせる先輩や先生だったり、話が心から信頼して悩みを打ち明け合える親友であったり、慕って支えてくれる後輩だったり、毎日生きる希望を与えてくれる大好きなダンサーの方であると思っています。なぜ家族を一番に好きで居なければならないのでしょうか。なぜ私は家族を一番に好きでないのでしょうか。どこで間違えてしまったんでしょうか。何もわかりません。

また、以前学校のカウンセラーさんに話を聞いてもらったところ、「あなたは精神的に母親に依存しすぎているから、距離を置くために感謝を伝えなさい」と言われたので前にも増して気をつけるようにしました。
ただ、未だに母親の言葉に傷ついていてどうしたらいいかわかりません。

また、感謝を伝えるということに関しても苦しさがあります。むしろありがた迷惑なことに関しては気持ちと努力はありがとうと伝えた上でやめて欲しいことも伝えたいと思っていますが、伝えると必ず「私は頑張ったのに批判するなんて」と怒られます。その叱責を繰り返されるうちに、もう彼女の善意ゆえの行為で私が嬉しいと思っていた行為すら、感謝を強制されているように感じて気持ち悪くなってきてしまいました。がんばって、ありがとうを伝えていますが、こころが辛いです。「こんな尽くしてくれる母親を持てることが幸せなんだから、嬉しくても嬉しくなくてもリップサービスで喜んどけよ!」って思わなくもないのですが、心がついて行きません。嫌なことは嫌だってなってしまいます。やっぱり心が「こどもすぎる」んでしょうか。嫌なことを断っても怒られて泣く、断らなくても嫌だという気持ちが積もって泣く、となりどうしたらいいかわかりません。




友達には恵まれており、愚痴を「たいへんだね〜」と聞き流してくれるので大変救われています。ですが、このままでは解決改善はできないのでどうにかしないとなと思っています。

もっと家庭環境などが大変で、深刻な悩みを抱えている方もいらっしゃる中でこのような者が悩み相談をして烏滸がましい限りなのですが、個人的には本当に悩んでいるんです。コメントいただければ嬉しいです。