4人家族
父母60代教育系の仕事、姉30代実家住み、妹(私)29歳

機能不全家族の診断をしたら傾向が高いという結果が出た。
5年前まで実家で暮らしていた。
核家族で親族は近くにいない。

母の宗教により家から1時間ほど離れた人の家(親戚ではない)に年末年始家族で行かなければならなかった。
その人が進学の時の身元引受人になってくれたから感謝しなさいと言われ続けていた。
年末は宗教の儀式?と掃除をして正月は宗教の儀式とおせちを食べた。
年末年始以外も時々行かなくてはならなかった。
両親が家政婦のように扱われる様を見るのが嫌で行きたくなかった。
恩を返したい気持ちは分かるけどおかしいと思っていた。
譲れない用事がない限り一緒に訪問しなくてはならない、家を出るまで続いた。

夫に1度だけ付き添ってもらって結婚報告の訪問をした、本当に申し訳ない気持ちだった。
中学生の時は正月に家まで行って嫌になって帰ったことがあった、結局連れ戻されてその人に恩知らずと言われた。
あんたより姉の方が好きと言われたこともある。
姉はアピールする性格で私はおとなしい方だった。

姉は両親に怒られることが多かったから私は怒られないように生きていた。姉妹の喧嘩は多かった。
喧嘩の中には姉が2階から死ぬと脅して無理やり謝されることもあった。
常に偉そうだった。
思春期はほとんど関わらなかった。
成人してから話しかけられるようになった。
性格は今も中学生みたいで両親はキチガイと言いつつ過保護なまま暮らしている。
今では姉のことを体力がないため学校に通えなかった、可哀想な子だからしょうがないと言っている。
昔の両親からは想像できない発言だった。

父親はよく脅し、けなし、言うことを聞かないのなら出て行けと怒っていた。
外面が良く家ではその反動で常に短気でいた。
逆らうなら引っ叩くぞと脅されていた。
世間体と自分が一番大切な人だった。
大学生になるまではほとんど雑談をしていない。
家の掃除をしろ等の指示しか会話はなかった。
幼少期の姉は夜に怒られていたとき、パジャマのまま外に追い出されたことがあった、泣いて謝っていた、私は家の中から訴えている姉の声を聞いていた、しばらくしてから母が家の中に戻していた。
私は父に小学生の時説教からの流れで出て行けと言われたので出て行こうとしたら玄関先で胸ぐらを掴まれて宙に浮き壁に押し当てられ全力で引っ叩かれた。

母も味方ではなかった。
小学生のとき暗い部屋からおふざけで父がおどかしてきたことがあった。
私は驚いて泣き過呼吸になった、母はそのときは味方になってかわいそうに、と言っていた。
その時からおばけや心霊が怖くなった。
父は偉い立場の人で私の父親だから偉そうなのはしょうがないと思うようにしていた。

両親は国公立大学に行って公務員になれと常に言っていた。
幼稚園の時プールとサッカー、リトミック、小学生の時競泳とピアノと英会話と習字と塾でほぼ友達と遊ぶことはなかった。
私立中高大と進み結局私立大学だったけど偏差値が低くなかったから怒られなかった。
公務員ではないけど近い環境の会社に入ったときは喜ばれた。

父は本家と縁を切り納屋で暮らしていたことがある、貧しい中努力して成果を出したけど親に愛されてないから愛し方がわからなかったと一度謝罪されたことがある。
母は優しく明るい人だった、小学生の時にパートから正社員になりほとんど家に居なかった。
私も習い事で長い間家で家族と過ごしていなかった。
姉妹の学費を稼ぐために休日も家で働いていた。
私は小学生のころから朝ごはんを食べなくなった。
誰も見ていないからぎりぎりまで寝て、漫画を読んで登校していた。
母とは1番会話をしていたが終盤には共感しなくなり、私の言うことを聞かない、もういい。と言われることが多かった。
中学受験の時に虫のいどころが悪かったのか迎えの車内で頭をガラスに打ち付けられたことがある。
それをたまたま見かけた先輩が心配してくれたとき、あの状態を見られて恥ずかしい気持ちになった。

中学生の時半年不登校になったときはよく説得されて中学校まで1時間半かけて車で送ってくれた
。嬉しい気持ちと午後からでも行かなければならないことにがっかりした。母の勤続年数が増えるたびに物事を自分の価値観で決めつけ、否定するような性格に変わっていた。

私は小学校の受験の時に塾内でいじめを受け、やられてはやり返すことをしていた。いじめられている子にも手助けをしない状態だった。
中学生になってまたいじめられる時があってその時に自殺未遂をした。
頼れる存在がいなかった。
高校は皆勤で通ったため指定校で大学に行った。

引っ叩かれた時からこの家から出ていきたい、力をつけてから弱った父を殴りたい。と思っていた。
母も従えないなら出ていくしかないと言っていた。
身寄りもいないからお金を稼ぐまでは家で生活するしかなかった。
大学生になって自由が増えたためほとんど家に帰らなくなった。
知り合いが増えていくうちに私に対してその言動はやめたほうが良いと言ってくれる人が一定数いた。
そのことから両親の言動はまともではないかもしれないと気づいた。私はその言動を直すことにした。
うまく生きている人の真似をするようになった。

私の家族には友達がいない。
私は多くを友達から学び友達を大切にすることに注力するようになった。
私の気持ちが不安定になる節目には必ず両親ではない誰かが話を聞いてくれていた気がする、恩師はお前の周りには褒めてくれる人がいなかったんだな、と言っていた、その時はどう言う意味なのか分からなかったけど忘れられない言葉になった。

社会人になってから学生の頃から付き合っていた夫と結婚して親と離れた土地で生活している。
一軒家を建てて孫を産んだ。
子供をうまく育てる自信がないから作りたいとは思っていなかった、義実家の勢いもあり産むことを決めた。
結婚前はこんな親と夫の親を会わせることが怖かった。
顔合わせというものを知ったときに恐怖だった。
こんな親と会ってくれる夫は貴重な存在だと思う。
よく夫婦で旅行に行く両親の話をしたら理想の夫婦だねと言ってくれていた。
実際は旅行先で小競り合いをする両親の性格を知って驚かせてしまった、本当に申し訳ない。

結婚式も想像がつかなかったからやめて良かった。
妊娠後期に両親が泊まりに来たことがあった、最後には両親同士が喧嘩して2日目の深夜まで居座っていた。自分たちのことしか考えてないことを改めて知った。
子供を産むとき里帰りはしなかった。
共働きだから帰っても、、という言い訳もできた。
実母の言動が耐えられなかった。
産後はメンタルも弱くなると聞いていたから会いたくなかった。
会いたくない理由を母に伝えた。
そしたら私たちも無神経なことを言っていたかもしれない、けどこれは治らないからしょうがないと言われた。

産んだ後も1ヶ月は会わなかった。
義両親には入院中からよく会っていた。
義両親の愛情深さは私の知らない世界だった。
産後は2ヶ月に1回ほど両親と会っていた。
だんだんと両親が夫に素の性格を見せるようになっているのが嫌だった。

姉は中学生のまま、大人になっていない。
最近うちに来た時に、父は夫と子供の動画についてゴキブリみたいと言い、母は障子を破いた子には気づかないように手をつねることがあると言い、私にもそうしてたと話していた。
そのあと子供が物を落とした時に父がそれじゃあこれね、と言って足をつねる動作をした。
私はその瞬間ありえない、やめてと伝えた。
実際にはつねってないと言っていたが素振りは私が見た。
孫にまで体罰で支配しようとすること、今時の親はと教育の評論をすることが子供にとって悪影響にしか思えなかった。

誰のおかげで飯が食えてるんだ、お前たちは恵まれていると言い聞かされていたから一般的な親孝行はしたい、しているつもりだったけどこのまま会い続けるのは良くないと思い、母に電話した。
最初の30分は私について良く親孝行している、お父さんは変わらないから会わない方がいいと共感していたが後半は親孝行はしてもしきれないもの、そもそも孫はつねっていない、私は見たけどあなたはその瞬間をみていない、あなたが夫や子供を守るように私もお父さんを守る、これはしょうがないこと、と話していた。
実際母は見ていないから私と父の主張でしか何が起きたのか知らない。
適当な意見をすることが理解できなかった。
あなたが幸せならいいと言われたけど親に対してこんな話をすることが不幸せで、お陰様で幸せではないですと伝えたら私も平日にこんな話をされて悲しいと言われた。
話が通じなかった。
最後にお元気でと伝えた時には不機嫌になっていた。

その後父から夫へ謝罪と私は父に会いたくないだろうから連絡と会うのは控える、家内だけはこのまま孫に会わせて欲しいという連絡が来た。
夫は母に話が伝わっていないことで私が泣いていた、父のおふざけはいつか子供に危害を加える可能性がある、直接話し合わないと次に進めないと思う、母だけと会うのは難しいと伝えた。
そしたらわかりました、連絡も会うのもやめておきます。暑いのでご自愛くださいときた。
成人してからは父の方が父なりの愛情がある気がした。
逆に母は冷たい人だと思っている。
揉めた後にはなにもなかったかのように明るく振る舞う。

現在の実家は父の発言で姉と母が傷つき父に対して冷たい態度をとっている状態で、片耳難聴の父にはコミュニケーションが必要なのに話し相手がいない。
笑えない冗談を言う父には味方がいない。
孤独でかわいそうと思うこともある。
母はそこまで頭が回らないので話し合いは苦手。
自分の意見が通らないと話を中断するけど主張はし続ける。

私は今日父宛に以下のラインをした。
旦那宛のメッセージを読みました。残念ですが絶縁状態になる意思は受け入れます。
金輪際連絡することも会うこともありません。
両親に言うことを聞かないなら出て行けと散々言われてきましたが実現できて安堵しています。
中途半端な関係は気持ちが落ち着かないのでこれで最後とさせていただきます。
義実家にも絶縁状態である旨を伝えておきます。
私のことは死んだものとして家族3人で生きていってください。

この後の返信はわからないし正しいことではないかもしれない。
親に感謝はしている。
できることはやった。
これは大した悩みではないかもしれない。
たしかに金銭的には恵まれていたけどすべて学業に注ぎ込まれご飯は三食ではなかった。
趣味にもお金はほとんどかけていない。
お金持ちだねといわれても生活と家庭内の雰囲気は最悪だった。当時はお金がない、とよく聞かされていた。
こんな子育てをした親に私の子育てについて意見されたくない、許可なしに体罰をする、暴言を吐く、躾を評価され続けるのは子供にとって悪影響だし、私は義実家を見習って子供を育てたい。

今の私には実家について悩んでいる余裕はない。
眠れない。
仕事に集中できない。
会うたびに親のことでストレスを感じていかなければならないなら縁を切っても良いのかもしれない。
でも子供にとって良いことなのかわからない。
義両親に申し訳ない。
義母は愛情深い人なのに余命が近づいている。
義母とはこれから長い時間一緒に過ごせると思っていた。
両親の葬式は心が疲弊するだろうからできれば出たくない。
そもそも姉は葬式を取り仕切ることができるのかわからない。
以前旅行に行ったとき私たちが死んだら三つほどお願いしたいけどそのうちの一つはお姉ちゃん、と両親が言っていた、その場にいた姉は黙って聞いていた、信じられなかった。
実家との関わりを絶って生きていきたい気持ちとそれで良いのかわからない気持ちです。