長文になると思います。忙しい中長文すいませんが、良ければ見てください。

今までの人生すべて人に打ち明けられず
溜め込んでいたものをここで書いてみようかと思います。

私が小学四年生の頃 両親が離婚しました。
父が家を出て行き、母に引き取られ 女の手一つで私と姉を育ててくれてます。

当時の頃の私は、小学四年生にも関わらず『離婚』というものを知りませんでした。

その話を聞かされ時、私だけ意味がわからず『そうなんだ』と言うしかありませんでした。
姉は2つ上で、当時小学六年生だったのでその意味を理解していました。
意味がわからない私には、何が何だか話についていけませんでした。
ただ、姉の表情は暗く、それが重く暗いなにかなのだと思いました。

父と母が離婚してから1年後小学五年生になった私は、やっと『離婚』の意味を知りました。
大好きな父がいない生活がこんなに苦しく切ないものだとはっきりわかり
私の心は明るくはなりませんでした。

学校も楽しくなく、クラスにもなじめなくなり友達と上手く話すことさえできず孤立する時間が増えました。
ある日、友達の家で遊んでいる時 おじいちゃんの体調が悪化し危ないとの電話で姉から聞き、すぐ家に帰って、家族で病院へ向かいました。

私は元から身体は強くありません。
三半規管がとても弱く乗り物に酔いやすく
急がなければならないというのにトイレに駆け込み吐いていました。
病院についた頃には既に遅く、おじいちゃんは冷たくなって綺麗な顔でベッドに寝ていました。
その顔はまるで、私たちが来るのを待っていたかのように。
私の身体が強く、乗り物酔いにも強ければ間に合ったのかもしれないという気持ちになり、家族にすごい謝りました。
当然そこには、父の姿もありました。

みんなは、『そんなことない』、『家から病院までとても遠いからどっちにしろ間に合わなかったよ…』って声をかけてくれました。
でも私には、あの頃の自分を今でも憎みます。
なんでもっとおじいちゃんに会いに行かなかったのかと。
なんでもっと強い身体をつくろうとしなかったのだろう。
なんでもっと三半規管を鍛えようともしなかったのだろう。

おじいちゃんは、宮崎に住んでいました。
ですが、姉と私の顔を見て暮らしたいからとわざわざ東京に来て一緒に過ごしていました。
しかし、当時私が小学四年生の頃 おじいちゃんは癌だと母から教えられました。
『癌』がどれほど危険で死に至るものなのか
それも知らなかった私は、早く病気治ればいいなとしか思っていませんでした。

両親の離婚、それから大好きなおじいちゃんの死。
私の中でとても大きな存在の人達、そしてとても大きく重いものが重なり、無気力になりました。
そしてそこから、私は自傷行為をするようになりました。
きっかけはネットで自傷した写真を載せているのを見てからです。
自傷行為について調べ、私の身の回りにある刃物を探し
私はハサミの刃で自分の手の甲を切っていきました。

大好きな父が家にいない悲しみ
大好きなおじいちゃんが亡くなってしまった悲しみ
私は、家族の中で頼れた唯一の存在の2人を一気に失い、絶望を抱いていました。
そのため、学校すら行きたくなくなり、悲しみのせいで人と話すことさえ避け、拒絶しました。
ですが、担任の先生がわざわざ家に迎えに来て学校に連れて行ってくれました。
私の気持ちが落ち着くまで別室で話を聞いてくれたり
朝も昼も食べなかった私にご飯をくれました。
学校が終わった放課後は、ワクチャレという所で遊んでました。
ですが、友達がいない私は大人の人としか遊んだことはありません。
ワクチャレが終わった後は
担任の先生が一緒に帰ろうかって声をかけてくれて家まで送ってもらってました。

小学六年生の頃はもう完璧、登校拒否をしました。
ですが、この先生も熱血で、私の母に電話をかけて 今からでも学校に来いと伝えたそうです。
母からそう言われて嫌々学校へ行きました。

すると40代後半の男性の教師、担任ですね。
その先生が私と二人きりの時間を授業中なのに作ってくださって
なにがどうなっているか話を聞いてくれました。
あの先生は、『辛かったね』などそんな言葉は一切くれませんでした。

先生が発した言葉はとても冷たく優しくはなかったです。ですが、今となっては
その言葉の裏には先生なりの優しさがあるんだと感じました。
『あなたに悪いところがあるんじゃないの?行動の仕方を変えてみなさい』
そう言われました。そこから私は卒業に向けて毎日辛くても学校へ行きました。

無事卒業式に出て、次は中学校です。

もう1度すべてリセットして 新しい私で挑もう。次は友達をたくさんっ!
そう思って楽しく過ごせていた中学一年生の一学期でした。
しかし、同じ小学校から来た友達がデマを流し私の印象を悪くさせました。

私の事を何も知らない人さえもその言葉をみんな信じたようで、仲良かった友達も離れていきました。
そして私はまた、登校拒否をしました。保健室登校を許可されてもほぼ行きませんでした。

私は体も心も強くはありません。小さいことで傷ついてしまう心です。精神面もとても弱いです。

小学生の時以来していなかった自傷行為をまた再びやるようになりました。
次は、カッターを使い手首や腕を切るようになりました。
切れば切るほど、精神は落ち着き 血を見る度、なぜか安心しました。
それがとても危ないことだと自分ではわかっていました。
ですが、自傷行為は日課となり、意味もなく自分を傷つけたり、今日の出来事で失敗したり辛いことがあれば自傷行為へと逃げました。
自分への罰。そう言い聞かせるように痛みを堪えながら切りました。

それを繰り返すうちに、痛みにも切ることにもなれ、徐々に傷は深くなりました。

私が完全復帰したのは中学2年生でした。復帰できたきっかけは小学六年生の頃の担任と出会ったことでした。
私がたまたま外を歩いている時、先生と出会い少し話をしました。
私はその時、『青年の主張』というものに出ようと思っていました。
しかし、不登校になりそれには出れず、先生にその事を話し謝りました。
それを聞き、次は何があったんだと話を聞いてくれました。

その先生は奥さんを大事にしていていつも早めに家に帰っている先生でした。
その時間を邪魔されるのが嫌いな先生が、わざわざ私のために時間をくださり、その場で立ち話をしながらすべて打ち明けました。
すると、やはり優しい言葉はくれず先生はこう言いました。

『何があったのか俺は、自分の目で見てないから何も言えないし、嘘ついてる可能性もあるからなんも言えない。けど、もしそれが事実なら左右されないこと。自分が見たものを信じ、信じた道を進みなさい。それでも辛くなったらまた小学校に戻っておいで。そこは、みんなあなたを知ってる。みんなあなたをわかってくれる。』
そう言ってくれたんです。

私には帰るべき場所があるんだと教えられなぜか安心しました。
中学一年生で、学校での居場所を失い私は、居場所を求めていたんだと思います。
一つ見つかったことでとても安心し、何故か前向きになれました。

それから2年生の学校生活はとても楽しみ
自分の考え方を変えたことでいろんな人とも仲良くすることが出来ました。
私が少し変わったことを誰かに伝えたいという思いから再び『青年の主張』に出場することを決意しました。

予選では結果は2位でしたが決勝戦進出出来たので、小学六年生の頃お世話になった先生に報告しに行きました。
『次は決勝戦です、いついつどこで何時からやるので良ければ見に来てください』と。

たぶん忙しいだろうし来てくれないと思いながら私は決勝戦の日を迎えました。
そしてその会場には、小学二年生、五年生とお世話になった女性の元担任の先生に出会いました。
それだけでとてもリラックスすることが出来ました。

自分が原稿を発表する時会場を見回した時に、なんとあの先生が来てくれていたんです。
それ驚きながらも私はいつもより気持ちを込め、みんなにわかって欲しい伝わって欲しいと思いながら言い切りました。
そして結果発表。結果は最優秀賞でした。
お世話になった先生が来てくれた場でその賞を取ったことは今でも忘れられません。
『一歩踏み出す勇気』その題名で私の住んでいる区の新聞に載ったりして
気分はとても最高でした。あの時が1番楽しめて悩みも少なかった頃だと思います。

ですが、中学三年生の頃には受験もあってなのかまたみんなと上手くいかず
私は別室で勉強することにしました。
みんなは授業を受けていましたが私は授業を受けることはしませんでした。
みんなと一緒にいると精神面がやられ息を上手く吸うことも吐くことも出来なくなり無性に泣きたくなることが激しくなったため、別室に行きました。
不登校になりそうになった時もありました、その時は校長先生と話し合い、別室を許可され学校に行くようにしました。
こんな私なのに推薦をくれた事も忘れてません。
推薦では落ちてしまいましたが、私はエンカレッジスクールという特別性のある高校に進学しました。

小学校から中学校までは本当に良い先生に出会えたと心から思ってますし感謝もしています。

ですが、自傷行為だけは辞められず 中学校を卒業するまでは自傷行為をずっとしていました。
中学三年生で本当に酷くなり、カッターからカミソリへ変え、血が止まらなくなるほど深く切った時がありました。
あの時は、軽い過呼吸になり誰かに相談することも出来ず一人でパニクり自分の中にある知識だけで止血しました。
今でもその深く切った傷はくっきりわかるように残っています。
その傷を見る度絶望の淵に立たされます。
汚くなった腕を見る度、恋愛を諦めます。腕を出すことを拒絶したくなります。
デコボコな左腕だけは外ではどうしてもさらけ出せません。

保健の先生に心療内科を進められ何ヶ月か通っていました。
しかし高校入ってから自傷行為を辞めると約束し病院へ行くことも無くなりました。

カミソリで切るという行為はしなくなりました。
けど自傷行為だけは今もやめられず
あまり傷にならない、自分の腕を爪で引っ掻くという行為をしています。
それとたまに自分で自分の顔や頭を殴ったりしています。

母も姉も私が今そういうことをしていることは知りません。
むしろもう言えません。自傷行為は治っていると思っているからです。

高校の友達とも上手くいってる訳ではありません。
いろんな友達の事で頭を抱え込むほど悩ませられたり、過去の忘れたい嫌な記憶が蘇ったり、一睡もできない日々が続いています。
寝れる時間はほんのわずか。
食欲も失せて自分から食べようとは思いません。
無理矢理にでもご飯を作られ食べろと言われない限り口にしようとは思いません。
ストレスのあまり、胃腸は荒れ肌も荒れ、吐き気に襲われたり頭痛に襲われたりしています。
何も食べていないので吐くものは無いのですが吐き気は毎日襲ってきます。
休みの日は、何をするわけでもなく無気力になり、ベッドの中でじっとしています。
学校も休みすぎて欠時オーバーになるぞと言われています。
このまま行けば退学だぞとも言われました。

正直、学校辞めてアルバイトだけでもいいと今でもまだ考えてしまいます。
一度そういう風に考えてから、また考え直しまだ頑張る、学校に残ると決心したのですが簡単に揺らいでしまいます。

社会に出ても人と関わろうとは思いません。特に男性とは関わりを避けたいです。
恋愛すらしたくないです。優しい言葉なんて欲しくもない。

心を閉ざしたい。仕事場では、仕事に関すること以外は何も話したくないです。
仕事に関係ない事を話すなら仕事をしたいと思います。
学校でも同じようなことを今では考えてます。コミュニケーションより、勉強を優先したいです。
ある程度は人と話せますが、自分の事に触れてほしくないし知られたくないとも思ってしまいます。

けど辛い時があれば知って欲しいと思ってしまう私もいます。
今の母には彼氏がいて、その彼が家に来たりします。
ですが私はあまり、男性自体好きじゃなく拒絶しています。
その彼は必要以上に触ってきます。私にも姉にも。
時にはベッドに入り込んできたり隣に寝てきたり
優しい面もありますが、男性恐怖症の私からするととても気持ち悪いです。
その彼がいる時、母に相談事をしようと思えた日、相談していました。
その時、その彼が口を挟み、それはわざわざ相談することなのかと言われました。
その相談をして私は気持ちが楽になるかもしれないけど、周りは負のものを貰ってしまうから相談するものではないと言われました。
自分の中で耐えられるものは人に言わず楽しい時間を作れるよう努力しなさいと言われました。

私の中ではどうにも出来ない悩みだったので打ち明けようと思ったんです。
私は小さい頃から人に相談はしないで溜め込んできました。
人にうまく甘えられず助けを求めることも出来ない人間です。
そのため、溜め込みすぎてしまいその叫びが自傷行為へと変わりました。

なのに、そう言われてひどく傷つき
私はどこからどこまでが自分の限界なのか耐えられるところなのか分かんなくなりました。
その時から人に頼れなくなり、相談聞くよって言われても負を与えてしまうのは違うからと断るようになりました。

人に相談したくても出来ない心。人と関わることは極力避けたい思い。トラウマになってしまうほどの男性との恋愛や暴力の過去の記憶。人間関係。もう消えることも消せることも出来ない心の傷と腕の傷。そして訳のわからない寂しさや孤独やイライラ。人に愛されたいけど愛されるのが怖い事。異性に抱きしめ欲しかったり頭を撫でて欲しいけど拒絶したくなる心。恋にまで辿り着かなくなってしまった心。

今でもう、すべて無関心です。何に関してもやる気は起きません。家族との会話も減りました。
携帯でも人との会話よりゲーム優先です。人と話す方が疲れてめんどくさいです。
直接人の顔を見て話すことすら出来なくなりました。家族に私のことについて触れられるとイライラします。
名前を呼ばれるだけでも、家に帰ってくるだけでもイライラします。

物音が大きく聞こえたり 周りでヒソヒソ話してる人が私を悪く言ってるのではないかなど 他にもいろいろあります。

今はもう心を閉じ、勉強だけして成績をあげ 無事卒業し、就職出来ればそれでいいかと思います。

腕の傷を見ては苦しくなります。この腕と一生付き合っていくのかと思うと私の心が治ったとしても恋愛まで行こうとは思えません。

大好きな人がこんな腕の人と歩くのは嫌だろうし周りから痛い視線を送られるのも嫌です。

勉強や仕事、ある程度のマナーや常識 それだけあれば十分生きていけるのでは
そう思っているので今は誰にも頼らず相談もせず行けるところまで行くつもりです。

なぜかこのサイトを見て今の気持ちをはけるのではとおもったのでここに来てこれを投稿してみようと思いました。

文はめちゃくちゃでとても長くて読むのに疲れたと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。そして長々とすいませんでした。