ケアに伴うフラストレーションの行き場

軽度知的障害のツレアイと共に生活してます。
ツレアイは実家から離れた、私の家で共に生活しており、現状引きこもりとなってます。
ツレアイは身体の不調が強く、腰痛を始めとして、様々な困難と生きてます。
日々の生活自体はそれなりに行えているのですが、私は、仕事と生活とケアの日々で、私自身が少し疲れてます。

そんな中、起こった出来事で、自分のエゴから出てくるフラストレーションの行き場を無くしてます。

といいますのも、ツレアイの為に1ヶ月以上前から予約していた、少し遠いところにある病院にいく予定が本日あったのですが、先日、私の家族の善意の提案で「車の運転代行役やろうか? ヒマだし」という話があったのです。
それをツレアイに伝えたところ、喧嘩になりました。()はその時の私の思考です。

「急にそんな提案聴いてない」(そりゃさっき私の家族から提案があって、それを伝えたんだから当たり前)
「いつの間にかそんな話が進んでて、なんなのそれ」(そりゃわたしの通勤途中で相談された内容だから、共有が帰宅した時間になった)
「気楽に行けると思ってたのに」(それは配慮不足だった、ゴメン)
「そっちは家族が近いからそんな風に気楽に話し合えるかもしれないけど、私は距離があってそういうことが出来ない」(それは事実かもしれないけど、八つ当たりも過分にあるのでは…)

と、ツレアイは感情をかなり爆発させながら訴えてました。

私の配慮が足りなかったのもあります。
そりゃ赤の他人の家族にホイホイ頼るわけにはいかないっていうツレアイの思考も、当然でしたので、これは単純に私の配慮不足でした。

しかし、この結果、病院には行きたくない、となり、病院の予約を取って、仕事の予定も調整して、ようやくこぎつけたのに、ちゃぶ台返しされたことへの苛立ちがとてもあります。

もちろんこの苛立ちは完全にエゴです。

配慮が足りなかった自分のミスです。

しかし、それでも、何かに苛立ちをぶつけたくて仕方がない自分の扱いに今とても困ってます。

善意の提案をしてきた家族にまずイライラしてますが、これもお門違いです。
善意の提案を受けて、それを自分の判断で断らなかった自分への苛立ち。
ツレアイの日々感じてる生きにくさを理解しきれない自分への苛立ち。
と、同時に、ツレアイに「こういう話があったよ」と話しただけで全部おじゃんにさせられる、理不尽さにとてもイライラしてます。

ちなみにこの文書を書いているのも、夜中にツレアイが「甘いもの食べたい」と低血糖症の症状を受けて起きざるを得なくて、ケアして、寝直そうと思ったけども、先ほど書いた出来事を思い出してしまい、本来であれば今日行こうと思っていた病院の予定を飛ばさざるを得ないことへの苛立ちで、寝直すことが出来なくなったからです。

ただでさえ日々寝不足気味なのに、夜中に起こされて、イライラしたことを思い出して、寝れなくて、恐らく日中眠くて仕方ない時間が発生して、しかし「眠い」等々伝えるとそれだけでツレアイが不安がったり、イライラしだすので、安易に寝れない苛立ちも過分にあります。

このケアに伴うフラストレーションはどうしたらいいのでしょう。
自分自身でおっかぶるしか恐らくはないのでしょうが、軽度知的障害という特質そのものへの苛立ちや、ツレアイの融通の効かなさなど、やりようもない苛立ちがとても辛いです。

他人をケアするという自尊。
エゴから発生するこの「相手のことを第一に思いたいのに思えていないのが明白」な苛立ち。
この自分をどうケアしたらいいのでしょう。
このままでは、ツレアイや善意を伝えてくれた自分の家族にぶつけてしまいそうで怖いです。

散文、失礼しました。