幼い頃は家族というものに希望を持っていました。
私はひとりっ子なので両親と私の家族3人で温かい家族関係が築けると思っていました。
実際に旅行にも連れて行ってもらったし、
「うちは幸せな家族なのだ」と幼少期のときは思っていました。
けれど、物心ついた頃からそうではないとわかりました。
父親と母親は顔を合わせれば喧嘩ばかり。
そしてその喧嘩の原因は“お金”でした。
父親がコロコロと職業を変え、安定しないことに母親が怒るという感じで。
でもその時の私は「お金ぐらいでどうしてこんなに喧嘩しているのだろう?愛し合って結婚したんじゃないの?」と幼いながらに思っていました。
そして、幼い頃に1番悲しかったのは自分の誕生日に盛大に両親が喧嘩したことです。
泣きながら自分の部屋にこもって「私がいても両親は幸せじゃないんだ…いない方が良かったのかな」と考えていました。
それからは両親が喧嘩するたびに止める勇気もなく自分の部屋に逃げこんで泣いてばかりいました。
私はその頃はまだ「お父さんとお母さんには仲良くしていてほしい」と思っていました。
でも両親の喧嘩を止めずに逃げてばかりもいました。
そのうち、両親は家庭内別居をはじめました。
それでも心のどこかに「家族としてやり直したい」という気持ちがあり、とにかく両親が喧嘩しないように父親と母親の機嫌をとりながら顔色をうかがっていました。
私は父と母の伝言板のように言われたことを喧嘩が起きないようにオブラートに包んでそれぞれに伝えていました。
父と母の一対一の会話はもちろんありません。
さらに私自身が嫌だと思うことでも両親の機嫌を損ねないように自ら進んでやっていました。
それでも家族関係が良くなることなく、結果、中学生時代から成人するまでずっと家庭内別居です。
冷めた家族関係を見ていくうちに、こんな現実から逃げたいと思うようになりました。
現実逃避をはじめてしまいました。
そのひとつが夜遅くまで起きてネットサーフィンすることです。
おそらくその時からネット依存になったのだと思います。
さらに私自身、なりたい職業ややりたいことはあったものの極度のネガティブ思考に陥り、全てを諦めて就職することを決めました。
けれど、就職活動に失敗し専門学校に行くことを決めました。
それも逃げだったのだと思います。
同時に高校卒業してすぐに心療内科に通いはじめました。それは対人関係や社会などでうまく適応できないなどの悩みがあったからです。
けれど、専門学校でやりたいことは本当にやりたいことだったので嬉しかったです。
しかし、せっかく奨学金まで借りて入った専門学校なのだから自分の生活を犠牲にしても頑張ろうと意気込んだのがいけなかったのかもしれません。
たった3ヶ月ほどで精神的なストレスが身体に現れてしまい、パニックになったり身体が震えたりと通学どころじゃなくなりました。
そして、退学してしまいました。
そこからしばらくは身体に症状があったので、しばらく休養していました。
そして、1年が過ぎて身体にあった症状は治ってきました。
それは嬉しかったのですが、ここからが大変でした。
就職活動です。
人と接するということがしばらくなかったため、面接に行くこと自体が怖くなってしまいました。
けれど何度か面接に行ったりしました。
面接に行ってもハキハキ喋らず自信がないように見えたのか全部落とされました。
アルバイトさえもできず、誰からも必要とされていないという疎外感を感じながら、派遣会社に頼りました。
けれどその仕事もすぐにやめてしまいました。
「お金もらえるんだから仕事できるだけいいじゃん」と幼い頃に思っていたけど、それだけじゃないと仕事をしてはじめてわかりました。
そして、父親に似て、いやそれ以上に私に根性がないのだとわかりました。
揉め事や嫌なことから逃げ続けてきた結果です。
でも心のどこかで自分の人生が上手くいかないことを両親のせいにしています。
それからはほぼ家で父親の食事などを作ったり家事を手伝ったり、少し父親の仕事を手伝ったりしていました。
その頃も成人近かったのですが、まだ家庭内別居はあって私も「まだやり直せる」と思っていました。
けれど20歳を迎えた頃、母親が離婚すると言い出しました。
私が成人を迎えたからです。
もともと離婚したかったけど「成人を迎えるまでは…」と母親は我慢していたそうで。
そして、母親によると「父親の言いなりになっている私の今の環境が良くない」と考えたからだそうです。
そして、両親は離婚し私の環境も変わりました。
私は母親とともに引っ越しました。
新しい環境でなら、新たなスタートをきれると思ってました。
しかし新たなスタートをきるどころか、働けず精神病を患った私に親戚からは呆れられ、私は新たに強迫性障害という病気を患ってしまいました。
そして、何年かぶりに元々いた(私にとっての育った家)実家に戻りました。
強迫性障害を治すために父親や母親からは常に制限されて、監視されているような感じです。
少しでも反論すると、父親からは威圧的な態度をとられます。「俺の家なんだから俺がルールだ」とか「じゃあ自立してみろよ」とか。
それはわかってます。
だけど、それが簡単に出来ないから困ってるんです。
父親も母親も精神病とは無縁です。
それに強迫性障害は患った私にしかその苦しみはわからないと思います。
それを勝手にわかったフリをしてきます。
そして、今ようやくわかりました。
私たちのようなこの家族は崩壊して当然だったということを。
私は母親に「趣味も好きなこともなにもかも一切合わないのになぜ結婚しようと思ったの?」と聞きました。
「わからない」だそうです。
そして、父親も私が産まれた時からずっと私の育児は母親に押し付けていたみたいです。
この時私は思いました。
「私は愛されて産まれた存在じゃないんだ」
「何も出来ず、親の利益にならない存在だからいらないんだ」
母親には愛はあったかもしれないけれど、父親には私に対する愛なんて1ミリもなかったんだと思いました。
思えば、幼い頃から成人するまでは両親の思い通りに動いていたし父親は昔から威圧的でした。私が思い通りに動かないと機嫌を損ねることが多かったです。だから私は絶対にNOとは言えませんでした。
おそらく私の存在を望んだのは、「家族や子供を持っている自分が世間的にステータスになる」からでしょう。
だから、こんな自立もしていない私みたいな人はいらないみたいです。
私の家族に愛なんかなかったのです。
そもそも両親の間に愛なんてなかったのだから。
理想を追いかけるのがばかばかしくなってきました。
だから私が死んだとしても両親は悲しみません。
もう何度もこんな人生なら死んだ方がマシだと考えています。
「両親がいるだけ、恵まれている」とか「物理的な虐待を受けていないだけ恵まれてる」とか思うかもしれませんが私にとってはもう耐えられません。
死のうと考えたこともありました。
けど、やっぱり死ぬことが怖いという気持ちが拭いきれないのです。
それに家族との関係は悪くても、25年生きてきた中で友達や好きなものができてしまいました。
それを手放して死ぬのはもったいないと思ってしまいます。
仕事をする気がないわけではありません。
ただ、現実と理想につまずいてやめてしまうことが多いです。
自分のやりたい仕事があるのにできないもどかしさ。
やりたい仕事をするためにはまずお金を貯めるところからです。
そのために仕事を選ばずになんでもやらなくてはいけません。
けれどそこでいつも強迫性障害が邪魔をしてきます。
仕事をしたいと同時に一人暮らしを考えています。
実家なんか今すぐにでも出て、ひとりで生きていきたいのです。
たぶん両親といる限り、一生精神病は治りません。
もうどうしたらいいかわかりません。