おはようございます。以前までは希死念慮に対して大きな不安を抱えて
相談させていただいていたセウと名乗る男子高校生(18)です。
これを書き始めた時間は2026・08・26(水)3:22です。
受験勉強の天王山の頂上付近とまではいきませんが、
とりあえず山や崖の高いところまできてしまったという表現が
僕の中でのニュアンスを掴み取ることができていることでしょう。
そして、何度もそこからガクンと落ちてしまう事故を度々感じているような
自分の中で感性”と表現する何かがあって、
それに対して、知的な“知性”という理性に近い何かと表現しようと“おもっている”
存在があるように“おもえます“(“知性”→思う、“感性”→想うの混合動詞と名付ける)
ここで発生した問題が、“双極的な心身問題“とこれから定義するものです。
私のバックグランドに対しては、これから必要に応じて情報を提示して
症状の改善に向かおうと考えています。(ここは優しい世界と言っても、
やっぱりインターネットなので、“情報が残り続ける“ということもありますので。)
(私に対して「知りたい」とおもってくれたのであれば、
これまでの相談内容から“私“に対して推察していただけると幸いです。)
ここからは、過去のことについておもい出しながら、ここに書きながら、
思考を用いて事実を整理する作業に入ろうと思います。
まず、先日=2026年8月25日(火曜日)、鬱症状が出ました。
大前提として今現在の状態や症状を双極症=双極性障害=躁鬱病の特性として捉え解釈しています。
(この出来事を起点として、
前後して繋がるような事象もあげながら思考の海を潜ろうとおもいます。)
この病気について理解を深めている最中ですが、まだ私が、
知らない、理解していない、認識できていない
何かがある一般高校生ですので、
心理学的であったり、精神医学的であったり、本人や周囲の人間の体験談などがあれば、
それをアドバイスとして、私に対して、ここでの言葉という情報のボールをここに投げ入れ、
ここでのインターネットを通すことで、私に届くことで、
私はそれを丁寧に磨き上げ、事実から自分ごとに繋げていく作業を行いたいとおもっています。
ここまで書いてみて一度たち止まって振り返ってみます。ちょっと疲れたので…
やはり、前提条件のような情報が多いように思えますね。
けれど、丁寧に根本を見つめ直すことでその先の葉先のような何かに対して
アプローチしやすくなるという思考のプロセスが十分にあるようにも思えます。
私は、こうやっていちいち冷静に物事を見ないと丁寧に噛み砕けず、
自分をしっかりと認識して生まれる自己肯定感や、
自己効力たるものが育まなかったようにもおもえますから。
ここで私が重要視しているのは“対話”です。
ああやって自分と自己を二つ認識してそれらで“対話”させる。
ココオルに投稿することで1から100に対して一度、一方的に“対話”の機会を与える。
次に、放流された“対話”の機会を捉え、今、こうやって読んでいただけている。
そして、タイミングが重なれば、これに対して、返信する“対話”が成立する。そう捉えています。
今、3:48になりました。20分でここまでの冷静な分析は行えてるので、順調でしょう。
少し、目的である問題点の根本にある設計図のようなものに言葉らしきものの
ガイダンスをさせていただきました。このように『根本を“疑う“思考の癖』
があると自分では認識しています。これは、躁的な発想のもとにあると僕は今考えています。
躁状態=思考が巡りすぎる状態で、何事に対しても深く広く捉えてしまい、
それを考えられてしまうのです。それで疲弊が積もり重なっているのでしょう。
そこで厄介なのが、受験生という社会的地位的なものです。
受験生として日々勉強に励んでいるつもりです。
こんな状態でありながらも、未だ理解しきれない“普通”とやらに対して
必死にしがみついて、もがき苦しんでいる状態です。
そんな中で、この躁的な発想が勉強に+にもーにも作用している現状を認識しています。
この躁的な発想が受験勉強のガソリンという一種の薬のようなものになり、
この躁的な発想が一般生活においては刺々しい一種の毒にもなっています。
今、この双極的な症状は薬草のような存在になっています。
(今、4:00になりました。もう、目が冴えてしまいましたね。)
とりあえず、助けて。そう言わせてください。
僕のある種のエゴをこのインターネットに放り投げ入れるので
それがうまいこと作用して僕の幸せに繋がるように助けてくれませんか。
鬱状態もすごく辛いんです。何もできないんです。
食事が喉を通りません。それ以前に食欲が働かないのです。
この症状は脳神経の物質と絡めて医学的に説明できるとおもっています。
鬱は甘えだなんて言う奴は、ただの無知で馬鹿でアホで無能なゴミだとおもいます!
(ここは少し感情的になってしまいましたね。少しは冗談も混ざっているので許してちょ。)
こうやって少しくらいふざけるくらいの余裕は時間をつくれば生まれるんです。
でも反対に、時間をつくらなければ少しもふざけられないのです。
すんません、ちょいと疲れましたわ。
鬱的な低いエネルギー貯蓄の体力的問題もあるとおもっているので、
躁的な高いエネルギー消費の体力的問題も重なって悪いとされる方向に
雪だるま式で転がっていってしまっているのでしょう。
こんな“知性”と“感性”を織り交ぜながら“身体”で出力する
そんな3次元世界があると感じています。
こうやって自分に付随する世界を見るには時間と体力というエネルギー源が必要です。
そのエネルギー源の消費を感じたので、一旦ここで話は切らせていただきます。
ここに鬱エピソードや躁エピソードが詰まっているとはおもうのですが、
また改めてここでおもいだしながら考えさせてください。
ここまで読んで頂き誠に有難うございます。
これは単なるいち高校生のエゴにしかすぎないけれど、
こうやって寄り添ってくれるその優しさが存在していることを僕は嬉しくおもいます。
僕は、こうやって勝手に幸にも不幸にもなるので、
これを読んでくれたあなたも勝手に幸にも不幸にもなっておいてください。
その結果、上手くいくか、悪くいくか、どうかはわかんないので。
運っぽいけれど、意思のある無作為のように思えますね。
かなり、ケースバイケースの環境やTPOに付随して出力されることが大きいので。
もしこのエゴ(ー1)とか(−10)に、あなたの手を差し伸べてくれるエゴ(ー1)とか(−10)が
上手く作用すれば(×)、(=)良いとされる方向(+1)にも(+100)にも成り得る。
悪く作用すれば(+)、(=)悪いとされる方向に(ー2)ましてや(−20)で止まる。
そんな事実が存在するだけ。『ただそこにあるだけ』だと私はおもっています。
この話の着地点が『ただそこにあるだけ』になってしまいましたね。
これは僕がこの夏“find“できた『ある一つの人生哲学』だとおもっています。
これに付随してこれからの人生考えて生きるのも悪くなさそうですね。
こんな発想の飛躍が起こりやすい発達特性についても考えていく方が良さそうにもおもいます。
もし、ほんの一言、ほんの1文字でも、言葉を与えてくださるのであれば僕はとても嬉しいです。
それでは皆様、ご自愛くださいませ。
コメント
コメントを投稿
参考:似ている悩みと対処法
ココオルに無料登録して、いまの気持ちをどんどんつぶやいてね!
ココオルユーザーの方は、ログインして利用してね!
メールアドレスでログイン twitterでログイン

セウ
π- 2026-09-01 21:45
今日、一つの秋が始まりました。
2026・8・31(土)病院にいきました。
去年の夏、高二の夏から通い始めて、1年が経ちました。
色々と想うことはあるのですが、
この投稿に対して、補足をしていこうと思います。
まず、こんな文章から分かるように、
随分な躁状態のように見えますね。そうおもいます。
『今、3:48になりました。20分でここまでの冷静な分析は行えてるので、順調でしょう。』
じゃねぇんだよコノヤロー笑
でも、あの時の私なりの冷静さがあったのは確かです。
確かなる記憶という実感を持つ事実がここにあるだけです。
今までの自分から顧みて、何度も立ち止まり、俯瞰して客観的な視点をとろうと努力している
そんな自分を褒めたいですね。そうやって、自己効力感を育んていきたいので。
まぁ、今回はこんな所で終えておきましょうか。
まだ自分の意思を伝えて、自分のオモイを広げたいという欲望があるのですが。
とりあえず飲み物でも
π- 2026-09-05 17:08
なるほど、山は乗り越えたにしても、躁鬱の症状が色濃く残って
いるのですね。そんな中でも、何とかそういう自分自身を捉え
治そうとして受験に取り組もうともがいている。そんな様子が
私にも読み取れました。
自分自身と対話をしようというその気持ちは私にも理解できます。
そしてその上で言うと、感情や思考と対話するだけでは、対話
としてはちょっと不十分であると私には見えます。
と言うのは、知性にしても感性にしても、人間の心というのは、
身体ありきだから。身体は単なる出力機関ではなく、心にとって
の家のような側面もあり、また、密接にコミットしています。
だから身体の不調は心にも影響を及ぼします。それ故対話するなら、
身体とも対話してあげる必要があります。例えば、疲労がどれだけ
蓄積しているかとか。そういう事に対してアンテナを張っておくこと
が、正しいアプローチに繋がるんです。例えば「僕の身体は疲れてる
のか。じゃあ、ベッドに入って一休みするか」みたいな感じで。
実際昔のことわざにもこういうのがあるんです。
身ありての奉公
奉公というのは現代で言う労働の事ですが、このことわざは、
「人間、自分の身体が有るから働ける」という事で、身体を大事に
する事こそ人間の活動の基本であるという意味のことわざです。
もちろん同じ事は学生の勉強にも言えます。だって立派な
デスクワーク・頭脳労働だから。
身体が疲れとかガス欠の信号出してるのにそれ無視して勉強
やろうったってそれは、スマフォやパソコンをロクにメンテも
せず24時間使いますって言うようなものです。それでは当然
機体は参ってしまいます。脳にも同じ事は言えます。だから
疲れた時には回復のために充分な休みは必要だし、休んでから
の方が何やるにしても能率は上がります。
話を聞く限りまずはそこからじゃないか?という気がします。
だってご自身だって、文末で「ご自愛下さい」って私達に言葉を
かけてくれているわけだし。(10代でうつ病まっただ中って時に
私達にこういう気遣いが出来るってそれはそれでセウさんとして
の1つの長所じゃないかと私は思います。)
セウ
π- 2026-09-07 09:48
そして、僕にはないとても大事な視点をお教えして頂き、とても感謝しています。
私がこちらに投稿させて頂いた一側面として、
自己の世界から広がって、他人の世界と共有して対話がしたい。
そんなオモイがありました。それが、今こうやって形になっていることを、とても嬉しくオモイマス。
そうですね。身体は単なる出力機関ではありませんね。
知性が脳、感性が五感、に密接に関係するのであれば、
身体性が臓器などの身体に大きく作用するのでしょう。
この1週間それを体感することができたようにオモエマス。
特に消化器官や排泄器官に影響がありました。
以前まで鬱期にあった、何度も発生する腹痛があったり
(単に、ストレスフルな学校環境において発生していただけかも)
トイレの回数が多いと母や妹から心配されました。
これらの根本は精神的なストレスにありました。
それを、身体的ストレスとして表現してくれた生命の神秘でしょう。
この期間に『頑張れないんじゃなくて、頑張りすぎただけ』という本を読みました。
『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』の著者である精神科医、平 光源(タイラ コウゲン)先生の著書です。
これにもそんな内容が記されていました。身体がちゃんとアラートを出せて良かった。
そんな言葉を先生が私に与えてくれた、そんな感覚でした。
つい先日、過去のトラウマとなる記憶がフラッシュバックして、
身体的アラートがちゃんと出されました。
幸いにも今日は台風の影響で休校になりました。
このチャンスを丁寧に活用し、休息をとって次のこれからに備えていこうとオモイマス。
『身ありての奉公』、肝に銘じます!
知性で何を考え、
感性で何を捉え、
身体性で何とどのように接するか、
丁寧に対話しながら、日々を過ごそうとオモイマス。
貴重なお時間を、どうも有難う御座いました!