はじめまして。私は28歳の男です。
 とにかく、生きていくのが「しんどい」のです。

 今年の3月、始めて就職をした会社を6月から適応障害で休職し、そのまま9月に退職しました。
 3月までの私は、8年間アルバイトをしていたのですが、その職場でもフルタイム勤務になった途端、適応障害で1ヵ月間の休職をしたことがあり、基本的にはパートタイムでの就労でした。それでも「このままではいけない」と意気込んで就職し、頑張ろうと思っていたのですが、どうにも自分の身体が言うことを聞いてくれませんでした。起床時に胃腸がズンと重く、喉元が常に緊張したように硬く息苦しい感覚。起き上がることも億劫で、だからといって眠いわけでは無い。けれど、眠ることでしか不快感から逃れる方法が無いあの症状を、職場の方々は理解してくれませんでした。
 「どうして適応障害になってしまうのか」をアレコレ考えてみても、これといって明確な原因が自分でも分かりません。「働きたくないから」と言ってしまうのは簡単でも、何故そう思ってしまうのかを考えなければ状況を変えることが出来ないと思うのです。些末な物でも、ここに挙げてみたいと思います。

 まず、鬱陶しいのです。私は私のやらなければならないことだけ、言われたことだけをやっていたいのです。食べ物で言えば「片付け食い」と言いますか。複数の事柄を並行して行うのが難しいというより苦痛だと思ってしまう。作業中に電話が1つかかってくるだけでも腹立たしく、電話の向こう側の人物への敵意と言うより、鳴った電話に対して敵意を感じ、相手に強く当たってしまうことが何度もありました。
 例えば、一見で把握できないような数の物を数えるのもかなり苦痛でした。大体7~10を越えた辺りから「今、指をさしているのが8個目だっけ?1個前にカウントしたのが8だっけ?」とわからなくなり、それを考えている間に「そもそも今いくつだったっけ?」となってしまう。これについては区切りの良い数で小分けにしてかけ算する等、工夫でやってこられましたが、とにかく苦痛だったのは入電対応でした。相手に何度名前を伺っても、それを覚えることが出来ませんでした。「メモをとれ」と言われてもメモを取り出したりペンを手にとってペン先を確認したときにはもう忘れてしまっているのです。それでもなんとか所属だけでも、上の名前だけでも、用件だけでも、と頭の中で復唱し、断片を引き継ぐことで乗り越えてきました。周りの人間は何とも思っていなくとも、自分自身が「また覚えていられなかった」と許せない。そのうち、周りの人間は並行して仕事をどんどんこなしていくのに、自分は1つに執着するせいでなかなか作業が進まない。対人の仕事だと自分自身のペースだけでは仕事が進みません。が、私は相手の反応を待つ空白の時間を別の作業の時間に割り当てることができなかったのです。

 また、私は中学時代から遅刻癖があり、高校時代も留年の可能性がありましたし、大学は講義の遅刻と考査の遅刻で3回も留年。中退しています。「電車の出発が11時ならば11時に家を出れば良い」という直感の時間感覚に疑問を一切持たず、気付いたときにはギリギリの出発となってしまう。これを何度となく直そう直そうと思っていても、例えば面接であるとか、診療であるとか、週1回以内の時間厳守であれば準備として早めの時間に到着することが出来ても、毎日繰り返す出勤であるとか登校に関しては「前日が大丈夫だったから」と安心してしまって目測を誤るのです。どんなに反省書を書いても、始末書を書いても、意識を高めても、今でもこれは改善されておりません。
 
 そうして原因不明の体調不良で苦しんでいる時、友人から「ADHDなのではないか」と言われ、症状を調べてみるとまさしく自分の事柄にピッタリだと言うことがわかったのです。
 こうした自分自身で自分を制御できない自責の念に苛まれている人生において、「ADHDである」と診断されることが一種の自分への救いだと希望を見ることに、何の誤りがあるでしょうか。それによって障害に甘えるというわけではありません。自分自身を少し許すことが出来る。例え無理解な人々に「それは病気では無くただの甘えだ」と言われたとしても、理解ある人々と接することで少しは人生の難易度を下げることが出来る。となれば、私は藁にもすがる思いで、アルバイト時代に通った精神科ではなく、市で運営されている障害者センターに駆け込み、ADHDの診断を行っている精神科を紹介していただいたのです。

 ロールシャッハやWAISなどの診断を受け、出た答えは「ADHDではない」というものでした。

 先生のお話では「特別、知能に発達の遅れは無く、社会生活の支障になるレベルではない」ということで、今後、適応障害やその他症状が出たならば、適宜、投薬やカウンセリングなどの対処療法で対応する。ということなのですが、慢性的に適応障害を起こしている状態が「社会生活の支障になるレベルではない」のならば、どうすれば支障と言えるのでしょうか。28歳にもなってパートタイムで働かなければ体調を崩す可能性がある男が、社会生活に適応していると何故言えるのでしょうか。
 「例えADHDであると診断されても、アナタの傾向ではコンサータなどの投薬の必要は無く、主にカウンセリングなどで対処療法に当たることに変わりは無いので、無理に精神障害の診断を下して自身の可能性を狭めることはない」と聞き触りの良いことを先生が仰っていても、診断によって狭まる可能性とは一体何なのでしょうか、それは現状のまま自責の念に耐えて耐えて耐え忍んで、それでも失敗して報われず、そうしてまた適応障害になって職歴の空白期間が増えていく人生より狭くなる物なのでしょうか。

 ADHDではなく、ただただ社会に適応できない人。そんな烙印を押されたような気がして、私はもはや就労意欲というより、生きていくことへの意欲が尽き、毎日毎日家で残りの人生の時間潰しをしているのです。

 親へのポーズもありますから、一応の転職活動・アルバイト探しをしておりますが、6を越える求人サイトを使っても、学歴も職歴もありませんから書類選考を通過できるのは10分の1程度。どんなに面接で人当たりの良い人間を演じても、「どうせすぐ適応障害になって辞めるんだろうな」と思考がまとわりついている自信の無い人間が面接にやってくるわけですからボロが出ているのでしょう。今のところ良いご縁には恵まれておりません。

 最初は診断を受けた後、セカンドオピニオンとして別の病院に向かうことも検討しましたが、当時の脱力感の中で新たに病院に向かうだけの気力はありませんでしたし、今ではお金が無いので保険証も、通院費もありません。それに、次の病院でも異常なしと言われてしまったときの事を考えると、恐ろしいのです。
 生きる気力は沸かなくても、今の状況から脱したいという気力は本能的にあるようで、差し当たって今はなんであれアルバイトなどでお金を稼いでストラテラなどの薬を個人的に輸入してみようかなどと考えています。精神科が信用できないなら自分でなんとかするしかないと思うのです。それによってもしかしたら生きやすくなる可能性もあるのです。

 そしてここまでで相談なのですが、セカンドオピニオンは有効な物なのでしょうか?
 既にでている精神分析の結果でも、医師によって診断結果が変わる物なのでしょうか?

 自分の事を心配してくれている人達のためにも、どんな形であれ、どういう姿勢であれ、ある程度の着地点は示さねば成りません。よろしくお願い致します。