幼稚園の頃からでした。

母親が、電話で、母親の友達に、僕が幼稚園に行くのが寂しいと言っていたことを聞き、そうすると家に帰して貰えると思い、僕は幼稚園で誰もいない窓に向かって、「お母さん、お母さん」とずっと泣き叫んでいました。友達や大人からは、障害者と思われていました。

その話が幼稚園の先生から両親に行き、父親の「お前は男やろ」の言葉と、母親の「忘れたらええねん」の言葉で、それまで幼稚園で泣き叫んでいたことは記憶から末梢し、次の日からは、皆と遊ぶようになりました。その頃から、外での事(社会での事)は、すべて妄想であるという認識になり、子どもとしての社会常識、人の気持ちを考える、という事を無視して、感情の赴くままに、好き勝手に振る舞うようになりました。その傾向は、僕が社会人になっても、ごく最近まで続く事になります。

小学校二年生の頃は、授業中でも休み時間でも、皆に相手にして貰おうと、所構わず大騒ぎして、勉強のみ優秀で、影では自分より弱い子や、小さい子を苛める、という最低の卑怯者になりました。社会は妄想である、何でも自身の思うようになる、との妄想が、激しくなった時期のように思います。今思えば、皆、そんな僕の心に気付いていたようです。皆、辟易していました。幼稚園時代から、僕を慕ってくれていた友達に誘われても、酷い暴言を投げ掛けて、悪友とばかり遊ぶようになりました。終礼で担任にその事を咎められると、癇癪を起し、机に伏せました。担任は、「しょうがないなぁ。そういう風にしといたろか」と言い、その日は帰され、家でその事を両親に話し、優しく諭されると、その事を記憶から末梢し、次の日からは、皆とまた遊んでいました。皆、「そういう風にしてくれ」たんだと思います。

小学校三年生になると、小学校一、二年生の頃につるんでいた悪友に、「クラス変わってんから、新しい友達作って遊べや」と関係を切られ、幼稚園時代から、僕を慕ってくれていた友達たちと遊ぶようになりました。そこでも僕は、幼稚園時代から、僕を慕ってくれていた友達の両親が離婚する事になり、その事について、その友達が悩みを僕に相談してくると、「自分で解決しろや」と言い、酷い対応をしました。それからその友達は、僕を苛めるようになりました。

小学校四年生の頃は、外では苛められて、大人しく、家では父親に暴力、暴言を行う、という最低の人間になりました。

小学校五年生になって、クラス変えがあり、その幼稚園時代から僕を慕ってくれていた友達のクラスへ遊びに行くと、「何で来たん」と言われ、関係を切られました。今思うと、僕の人間的異常性に、付き合うのが嫌になったのだと思います。

今思えば、僕の子どもとしての社会性の無さ、感情の赴くままの行動から、悪友も、幼稚園時代から僕を慕ってくれていた友達も、友達ということに「してくれていた」だけと思います。内情は、辟易していたと思います。

小学校五年生の時は、一年間、学校では図書館、家ではマンガを読み、外で口を全く聞けない子どもになりました。そして、私生活では、父親とプールに行った時に、プール内で、他人の女性の体に触る、という痴漢行為もしていました。女性の彼氏に詰められても、無表情で知りませんといえば通用すると思い、実際何のお咎めも無しでした。そして、小学校五年生の修学旅行時に、発達障害のある弱い子に、階段上から、飛び蹴りをする、という行為をしました。周りに先生もいたのですが、無表情で何も言わなかったらお咎め無しでした。この頃も、社会は妄想である、何でも自身の思うようになる、との妄想が、激しかった時期のように思います。

小学校五年生の終盤に、小さい頃から、僕の事をずっと見てくれていた、別の幼馴染の保護者から、バスケ部への誘いがあり、バスケ部に入ると皆にチヤホヤされて、いい思いが出来るのではないか、という安易な妄想から、バスケ部に入部しました。そこでも最低の振る舞いをします。やる気を全く出さない、テレテレ動く。先輩からも、先輩部員、同期部員の保護者からも、両親からも、怒られ続けました。暫く経って、ようやく走るようにはなりましたが、外では口を聞けないままでした。

中学生になると、社会生活はすべて妄想である、という認識からは、ほんの少しだけ醒め、同級生や大人から、話しかけられるとある程度の対応はするようになりました。しかし、基本は話さない、遊びでじゃれて加減してたたかいごっこをしている同級生の行為を、本気のケンカであるという風に認識していました。そして、家で一人でいる時には、人と喋っている事をシュミレーションしての、独語、独笑が激しくなりました。学校でも、独笑、一人ジェスチャーがあり、やはり同級生、先生からは、異常者と思われていました。

中学校二年生になると、本格的に異常者の道に入ります。その頃僕は、自己啓発系の本に間違った激しい影響を受け、心に思った事は、すべて行動に移さなければいけない、という激しい思い込みが発生し、授業中に先生に絡みだし、怒らせる、という事が中学校三年生の夏頃まで続きました。家族で学校に呼び出されもしました。修学旅行でも、社会常識も人の気持ちも考えず、感情の赴くままに大暴れ。異常発言、異常行動を心の赴くままに行いました。

中学校三年生後半になると、先生に絡んだ事を、異常に恥に思い、段々と自我が希薄になっていきました。友達、先生、両親に対し、少しでも気に入らない事があると、すぐに暴言、暴力行為を行うようになって行きました。

高校受験期に、両親が離婚。激しい自己嫌悪(両親が離婚したのは、僕の今までの行いのせいである)という認識と、その時の周囲に、僕に暴言、酷い扱いをしてくる友達しかいなかった事、僕に遊びで腹パンを繰り返してくる同級生に対し、本気の暴力であるという認識であったこと、などがトリガーとなり、全日制高校を合格し、通うようになっても、人生に対する絶望感、この先何も良い事が無いという思い込みから、誰彼構わず、激しい暴力を奮うようになりました。高校一年生の頃が、対外的に見て、僕の人生で一番、異常行動が激しかった時期のように思います。

両親に対しても、思うような対応をしてくれないと、激しい暴力行為を繰り返しました。中学時代に、僕が先生に絡んでいた事を咎めた中学時代の先生に対し、お礼参りと称して、全治三ヶ月の重傷を負わせました。友達数人の肋骨を折りました。知らない通行人に対し、いき激しい暴力を奮いました。何もしていない、中学の先輩に、ケンカを売りました。

それから暫くして、通っていた全日制の高校で、僕の顔立ちがキレイだ、と言ってくれ、彼女になってくれる子が出てきました。その子を含め、僕の取巻きになっていてくれていた女の子達が出てきました。その子達にも、男子の同級生にも、僕がムカつくと感じる対応(皆冗談でやっているのに、冗談が通じませんでした)をされると、激しい暴力を奮いました。それでもその子達は、僕が全日制高校在学中は、側にいてくれました。
それからその彼女の存在が僕の安堵感へとつながり、徐々に徐々に、暴力行為もなりをひそめていきました。しかし、僕はそのような様々なことも、記憶から末梢してしまうことになるのです。

そんな状態で、勉強、通学がまともに出来るはずもなく、僕は全日制高校を留年になりました。通信制高校に転入し、高校三年生までは、表面上は穏やかな日々を過ごしました。(彼女、それまでの友達、取巻きになっていてくれていた女の子達との関係は、すべて切りました。)内情は、世の中はケンカの強さがすべてである、という妄想の認識でしたが。中学生の終わり頃から、全日制高校在学時代まで、僕の側にいてくれた、優しくしてくれた友達に対し、被害妄想からとてつもなく酷い暴言を吐き、関係を切るというとてつもなく酷いプロセスあっての事ですが。

通信制高校在学時は、上記の世の中はケンカの強さがすべてである、という妄想の認識に支配されていた為、筋トレ中心の生活を送っていました。それまでの自身の人生における行い、あった出来事をすべて記憶から末梢し。街で全日制高校在学時の彼女に会って、声を掛けられても、誰か解らなくなっていました。異常な筋トレで、ストレスが溜まり、中学二年生頃から、全日制高校在学時までの、自身への周囲からの扱い(被害妄想です)を思い出し、僕は、自身の顔を殴り始め、家の鏡を割り、壁や床を殴り、大声で叫ぶようになりました。(大声で叫ぶ行為も、ごく最近まで、その頃に比べると規模は小さいですが、被害妄想が膨らむと、行っていました)全日制高校在学時の彼女は、心配して、家まで来てくれたり、手紙をくれたりしました。そんなことをしてくれても、僕は彼女が誰か解りませんでした。

その状態が通信制高校卒業を経て、卒業年の夏頃まで続き、やっとの事で彼女の事や、僕の取巻きになっていてくれていた女の子達の事を思い出し、彼女達にまた会いたいと、その年の11月から、その彼女の地元で、100円ショップでのアルバイトを始めました。

その頃私生活では、母親の妹がガンで余命宣告をされ、母親は母親の妹に付きっきりになり、働けなくなるのですが、僕は、そんな母親に対して、働けとキレまくり、暴れまくりました。お金も渡さず。

それからは、ファミレスのアルバイトを経て、介護職の正社員になるのですが、そこでの僕の異常性格による、異常行動を箇条書きにしたいと思います。

・ファミレスのアルバイト時代。新興宗教に入会し、祈れば何でも許されると考えて
、仕事中に上司、先輩、同僚に対し、キレているような口の聞き方、対応をする。先輩のタバコを盗む。女の子の使用済みスプーンを舐める。その行為を、祈って忘れる。

・介護の正社員時代。夜勤中に、とてつもない不安感に襲われ、仕事をせずにタバコに逃げ込み、上司、先輩に泣きつく。それも走り回って仕事をすれば許されると思い、上司の仕事の邪魔をする。その状態が三年も続く。
社会常識、社会性が基本的に欠如している為、上司に対して酷い口の聞き方をする、会議中に、ノックもせずに会議室に入るなど。介護の正社員時代は、7年も勤めさせて貰えたので、異常行動は、数え上げれば枚挙にいとまがありません。

・ファミレス時代~介護職時代にかけては、祖母がガンになり、余命宣告をされ、母親はまたしても働けなくなるのですが、そこでもキレまくり、暴れまくりました。お金も渡さず。

両親は、僕が社会的、人間的にやってはいけないことを続けている事、極端に社会常識、社会性から外れた行為を繰り返す事に対して、叱り、諭し、色々な手法で教えてくれていたのですが、何を言われても、僕は癇癪を起し、キレて大声を上げ、記憶から末梢し、ひねくれる為、僕に合わせた対応しかとらないようになりました。

僕は、今までの人生をキチンと振り返ると、性格異常、良く言えば人格障害に当てはまるか、と思うのですが、
僕の場合、ストレスのかかる状況下に置かれると、異常性格、異常行動が、表に出てきてしまう傾向が強いと思います。これからは、契約社員ではありますが、憧れの会社への入社が出来そうなので、何が何でも異常性格を治療していきたいと考えております。

皆様はどういう見解を示されますでしょうか。

長文をご覧頂き、ありがとうございました。

宜しくお願い致します。