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- 2024-05-06 21:23
2024年04月29日:【「自分の人生を生きる」伴走者としてのココオル】note記事@ココオルスタッフもも
2024年02月21日:オンラインカウンセリングのプラットフォーム機能の提供開始
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自分が知らない他人に許さない程度の悪いことを故意にしてきていないなら、自分は幸せでいいはずだ、となる
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自分の知らない遠くのある障がい者の内面的幸せを無責任に願うように、または平凡なあるひとりのおっさんの、あるいは恵まれた環境にいるある若者の
自分もまたそのように在っていはずだ
どこかの誰かにそんな願いを向けられないとしたら、その人が悪いことをしている場合だろう- コメント
- 2024-05-06 21:19
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なおや...おもしれー試合最高
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- 2024-05-06 21:15
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その基準を自分に適用するなら?
他人に近くで関わらない限り、自分は元気に幸せでいていいことになる
その基準がもし多数派の人の中にある基準としたら
当然自分が関わってる人より関わってない人のほうが圧倒的に多く、世の中のほとんどの人が実は自分が幸せであることを認めていることになる- コメント
- 2024-05-06 21:14
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きっと直接的な面倒を被らない限りは、他人に元気に幸せに過ごしていてほしいと思うものなんだろう。強いとか弱いとか容姿の美醜とか関係なく
もちろん実際関わるならそれらが壁になってくるのが現実ではあるものの- コメント
- 2024-05-06 21:09
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自分の人生に気持ちが落ちきると、じゃあ障がい者の人生は不幸でok?という問いにぶつかる
自分が自分を測る物差しでは、そういうことになる。重めの障がいがあれば他人に貢献する喜ばれることは困難になる。よって不幸なはずだ
ならそれを認めたくない自分は何なのか。その物差しは基準はなんなのか- コメント
- 2024-05-06 20:59
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